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「歌えバンバンの会」と集団の質の上げ方問題

先日無事に幕を閉じたミュージカルA COMMON BEAT久留米公演に、キャストとして参加していました。

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とっても楽しかった。満足。

このミュージカルをつくるプログラムに参加するのは2回目でした。
スタッフでもなんでもなかったのですが、「歌えバンバンの会」という自主グループをつくり、歌についていろいろ発信したりもしていました。
この会の主な活動は、会員だという目印(添付写真)をつけて大きな声で歌うことです。
また、それを通してまだ歌に自信のない他のキャストを勇気づけることが目的でした。
私も含め会員みんなが歌に絶対の自信があるというわけではないなか、頑張って声を出して歌ったことに価値があったのかなと思っています。

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これを始めるきっかけは色々あったのですが、原点まで遡ると、中学生時代の部活での嫌な体験だったなと思い出しました。

小中学生の頃、吹奏楽部で真面目に楽器をやっていました。当時は部活レベルの子どもの中ではわりとよくできる方だったと思います。
(今ではすっかり音楽から離れてしまいました)
目指すレベル感も人間関係の雰囲気も小学校とは違ってヒリッとしていた中学校の部活でしたが、人数制限のあるコンクールに出場するメンバーの決め方は”年功序列”。そのため、1年生の頃はメンバーに選ばれませんでした。
にもかかわらず、コンクール直前でたまたま合奏に入れてもらった際、外部指導の先生が上級生のソロを「もういい」と、代わりに私に吹くよう指示し、その日の合奏の間は私がソロのパートを演奏しました。

練習後の雰囲気は悲惨でした。
当該上級生は泣き、自分を通り越してメンバーでもない1年生が指名されたことに別の上級生は怒り、周りはそれをなだめ…
阿鼻叫喚。
私は針のむしろでしたが、なんのケアもありませんでした。
また、”年功序列”のルールが変わるわけでもなく、翌日になればまたメンバー外として合奏にも入れない生活に逆戻りでした。

たしかにこのやり方には、効果があったと思います。
私と同じ楽器の人はもちろん、コンクールメンバー全員がより危機感を持って練習に取り組むようになり、集団としての質が上がったわけです。
すっかり悪役になり、かといってコンクールメンバーに繰り上げられたわけでもなく、
損したのは私だけという状況には当時から不満を持っていましたが、
大人になり、教育学部で7年間様々な教育の手法を学んだ今はっきり言えるのは、
こんなやり方は間違っているということです。

集団の質を上げるために、どこかにひずみが出るようなやり方を選ぶのは間違いです。

ただ同時に、一生懸命な集団ではとくに、そのような雰囲気になりやすいとも思います。

自分の好きな集団でそんな雰囲気になるのは絶対に嫌。
コモンビートにはこんな嫌なやり方をあえてする人はいないと分かっていたけれど、
「歌えバンバンの会」をつくったのは、そんな雰囲気にちょっとひっぱられるだけでも嫌だという気持ちがあったからです。
まだできていない人を責めるのではなくて、できている人たちがまずやってみせれば、みんな安心してできるようになる、結局は質も上がっていくと信じていました。
そういう方法がやっぱり自分は好きでした。

こういったことを書いて勘違いされるかもしれないけど、
嫌な思いをした分、人に優しくできる、みたいな話にはしたくない。
私はこんなことがなくても(なかったとしたら)、もっと伸びやかに考えられる人になっただろうし、
自分がされて嫌だったことをしないとか、その逆のことをする人じゃなくて、自分がされて嬉しかったことを人にしてあげられる人になったと思う。

私と関わる子どもたちには後者になってほしいのです。

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最後に、ちょっとしたトラウマ克服(?)の自己満足に付き合わせることになったバンバンの会の皆さま、ごめんなさいね。ありがとう。
されたことは絶対に忘れられないけど、
こんなやり方だってあるじゃんという証明というか、自信になりました。
本当にほんとうにありがとう。

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