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4年前のよく晴れた春の朝のこと。 朝ごはんの後の毛づくろいを終えて、今日の昼寝の場所を選び始めた長女猫のニコちゃんが突然飛び跳ね始めた。明らかに異常な飛び跳ね方だった。 「ニコちゃん!どうしたの?ニコちゃん!」 ソファからそう呼びかけるとニコちゃんがこちらを見て眼が合った。ソファから立ち上がろうとするとニコちゃんがソファの背もたれに飛び乗ってきて、そのまま私の膝の上に崩れ落ちた。 その時、もう息をしていなかった。 それは木曜日の朝の7時で、近所の動物病院は
引っ越しの話で思い出した。 いつも引っ越しの日は朝から猫たちを近所の動物病院に預け、引っ越し先で猫たちを迎える準備を整えてから連れに行く。 2回前の引っ越しの時もそうだった。夕方、迎えに行き、タクシーを呼んでもらった。 タクシーのドライバーさんに行先を告げると、高速に乗るかどうか訊かれた。早い方がいいので高速でとお願いした。 「ずいぶん遠くからいらしたのですね。ご病気ですか?」 走り出してからそう訊かれた。引っ越しだと答えると、なるほどと頷いた後にこう続けて来
もしも誰もが生まれながらに一定量の好運を持っているなら、私の好運の半分はうちの猫たち(故ニコちゃんと元気なタマちゃん)に出逢えたことで使ったと思う。 そして残りの半分のそのまた半分(全体の4分の1)はタマちゃんが長生きしてくれていること(現在16歳)で使っている気がする。 残りの4分の1は友人たちや仕事仲間に出逢えたことで使った。 友人がこれを読んだら、「え?私は 4分の1の、そのまた数百分の1?」と思うかもしれない。すまん! でも、一緒に暮らしてくれるって
友人の愛猫が亡くなった。 翌日、美容院に行った時、カットしてもらいながら、その話をした。美容師さんの顔は見えないが、涙ぐんでいるのが声でわかった。 若い美容師さんは、猫と二人暮らし。猫はまだ8歳だそうだけど、「この子が死んじゃったらどうしよう?」と思っていたたまれなくなることがあると言っていたことがあった。 同じ猫暮らしとはいえ、会ったこともない誰かの猫の訃報に眼を潤ませる彼女の素直さが好き。 共感力が高すぎるのは生きづらさの源になってしまうことがあるけど、
タマちゃんは我が家の宝だ。 だから、タマちゃんの仕事は宝物である自分を大事にすること。 「子宝」という言葉を出すまでもなく、子供も宝だ。 家族の、そして社会の。 だから、子供の仕事は自分を大事にすること。 それを手伝うことはできなくても、 せめて、邪魔をしない大人でありたいと思う。