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巡りめぐる

長男は小2から
スポーツ少年団の野球チームに入った。

野球チームでは
何かと親の協力が必要で

練習時のグラウンド当番や
試合時の送迎
その他いろいろな役割があり
私もかり出されたものだ。



チームの同級生に
両親が離婚し
お父さんと2つ上のお兄ちゃんと
暮らしているJ君がいた。

お父さんは勤務の関係で
送迎できないことも多く

私を含め他の母達が
朝迎えに寄ったり

ときにお昼ごはんのおにぎりを
彼の分まで作ったりしたこともあった。

長男と彼は
野球以外で遊ぶことも
よくあったけれど
その分喧嘩もよくした。

天気のいい日の練習には
時間と待ち合わせ場所を決め
自転車でグラウンドまで
一緒に行くようになったのだけれど

彼が気分次第で
一人で先に行ってしまう
なんてこともあった。



それから二人は中学生になり
長男はクラブチームで硬式野球を
彼は部活で軟式野球を
することとなった。

学校は一緒だったけれど
関わりはほとんどなくなっていった。



そんな二人が高校生になり
また一緒に野球をすることになった。

練習参加の初日の朝
うちのインターホンが鳴った。

学校までのルートの関係も
あるけれど

小学生のときは
迎えに来てもらう側だったJ君が
うちに寄ってくれたのだった。

それ以来
休日で野球部の活動がある日は必ず
彼が誘いに来てくれるようになった。



中学校までは給食があったが
高校では毎日お弁当。

お弁当作りが好きではない私も
たまには作るようになった。

せっかく作ったお弁当を
忘れ物常習犯の長男は
忘れて行ったこともあったが

そんな日はJ君からパンをもらって
空腹をしのいだと言う。

物の扱いが雑な長男が
中学校から高校も通学に使う自転車は
何度も壊れ修理してきたが

あるときJ君が先輩から譲り受けた
自分が乗っているのとは別の自転車を
貸してくれたのをきっかけに

今ではすっかりそちらが
長男の愛車となっている。



長男は長く野球少年をしているが
小学生、中学生の間は
いわゆるスポーツ刈り。

どうも坊主は嫌だったらしく
高校の野球部に入るときも
気にしていた。

坊主だけれど長さまでは決まってない
と説明会で聞き

入学してすぐ
1センチほどの坊主にした。

でもそれではすぐに伸びてしまい
バリカンを自分で使う自信のない
私としては
散髪代がかさむのが不満だった。

スポーツ刈りのときも
刈り上げたところは
3ミリだったからと

次はもっと短くするように説得したが
それでも6ミリ。

しかし夏の大会が近づいてきたある日
長男はとうとう
1ミリの坊主にする決心をした。

実は野球部のキャプテンが
J君のお兄ちゃんで
部員全員そうするように
通達があったらしい。

私の悩みの種をJ君のお兄ちゃんが
いとも簡単に解決してくれた。

しかもJ君兄弟を
いつも坊主に仕上げているのは
彼らのお父さんだから

長男まで一緒に
おうちで刈ってもらえることになった。

ついでにお泊まりの
お誘いまでしてもらい
ありがたくお世話になることに。

J君のお父さんの手料理は
焼き肉、刺身あたりが定番で

野菜嫌いな長男としては
豪華な食卓を楽しみ

青くなった頭でも
ご機嫌に帰ってきた。



中学生までは試合といえば
必ず送迎が必要だったが

高校生ともなると
最寄り駅まで自転車で
あとは公共の交通機関を
使って行くので
私としてはずいぶん楽になった。

ところが試合で出掛けたはずの日に
自転車がうちの駐車場に
置いたままになっていることがあり
後で事情を聞いてみれば

なんとJ君とは離れて暮らしている
彼のお母さんが
試合を見に行くからと

わざわざうちまで迎えにきて
駅まで車に乗せてくれたのだと言う。

さらには電車で球場に行く予定だった
夏の大会の第2戦の日

人身事故のため
電車の運転が見合せとなり

急遽高速を使って
試合会場への送迎が
必要になったときも

J君のお母さんに助けられた。

今の私達はそのご厚意を遠慮なく
受け取らせてもらっている。



夏の大会敗退により3年生は引退し
長男が初めて地区での公式戦の
ベンチに入ることになった日の前夜
試合用の帽子がないと言い出した。

前回の練習試合のときにでも
グラウンドに忘れてきたのか

失くし物常習犯でもある長男
今回ばかりは大ピンチ!

今更どうするんだろうと思っていたら
引退したJ君のお兄ちゃんの帽子を
もらえることになったと。

どこまでも助けられて
生きていけるヤツだ!
と私は思わず舌を巻く。



数年前にはJ君家族にこんなにも
お世話になることになろうとは
1ミリも思ってなかった。

見返りを期待せずやったことは
いずれこんなふうに巡りめぐって
返ってくるものなのかもしれない。

でもたとえJ君家族から
返って来てなかったとしても
違うところから
受け取ってきた気もする。

負い目や引け目を感じなくても
甘えるところは甘えて
自分にできるところで与える

それができればきっと
自己犠牲によるしんどさや
恩着せがましさもなく
心地よく世界は廻るものなんだろう。



全くするつもりのなかった
高校の野球部の会計役員を
引き受けることになってしまった
私だけれど

これもきっと
巡りめぐってきたもの。

できる中でできることを
やればいい。

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