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【感想文】青鬼の褌を洗う女/坂口安吾

『サチ考』

本書『青鬼のふんどしを洗う女』読後の乃公だいこう、愚にもつかぬ雑感以下に編み出したり。

▼あらすじ

サチ子という女性が戦争きっかけで久須美くすみに引き取られ知り合いの田代とかノブ子とかと一緒に悠々自適で奔放な生活をエンジョイした後に鬼でもなんでもいいからアタイはびながら死にたいんだとニッコリ笑って思考停止するっていう話。

▼読書感想文

サチ子みたいな女性と結婚したいなあって心の底から思った。[感想文・完]

▼余談 ~ サチ子の抱くなつかしさと堕落志向について ~

サチ子は作中、合計3回にわたり「なつかしさ」を覚える。

<<私にとっては私の無一物も私の新生のふりだしの姿であるにすぎず、そして人々の無一物は私のふりだしにつきあってくれる味方のようなたのもしさにしか思われず、――中略―― そしてあらゆる人々が泥にまみれていても、私は不潔さを厭いもしなければ、不安も恐怖もなく、むしろ、ただ、なつかしかった。>>

<<私は退屈というものが、いわば一つのなつかしい景色に見える。>>

<<カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。>>

上記3点の「なつかしさ」なるものはいずれも共通した性質を持っており、戦争により廃墟と化した状況、すべてが退屈であるという虚無感のある現実に <<新生のふりだしの姿>>、つまり、人間の本来性に気づいたサチ子は「なつかしさ」を覚えたのであり、この「本来性」に関しては、著者の『堕落論』における、<<人間は変わりはしない。ただ人間へ戻ってきたのだ。人間は堕落する。>> から出発したものと思われる。また、他の登場人物と違って、あらゆる出来事を現実として受け止めた上で自分という主体に従って行動しているサチ子は一見、「怖いもの知らずの作中最強キャラ」といった印象を受けるが、彼女には「自由でありたい」「孤独を避けたい」「死にたくない」という執着が作中に点々と語られており、それはまたしても『堕落論』における、

<<人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定とその不自由さにきづくであろう。人間は永遠に自由ではあり得ない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。>>

という著者の主張する人間の在り方がモチーフとされているように思う。そのため、彼女は孤独への回避措置としてニッコリ笑って媚をうったり、何も考えないよう、作中冒頭にある <<言葉を鼻で嗅ぐようになった>> と思考停止してみたりするが、結局のところ「人間だから堕ちる」という宿命に抗うことなく、作中ラストにおいて野たれ死を予期したものと思われる。

といったことを考えながら、本書はそんな感じの『堕落論』ケーススタディー本なので後は実践あるのみである。

以上

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