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これも二極化なのかと考えさせられた出来事。

「風の時代が始まると二極化が進む。」

一般的に二極化というと、これまでのルールや右に倣えの精神「地の時代」から、自由や個性の「風の時代」へと変わっていく中で、起こるもの。

外の評価が大切だった時代から、内側へと意識が変わっていきます。


先日、一ヶ月に一回の通院のため、普段は利用しない電車に乗りました。

座席は一人一人がゆったりと座れるようなデザインになっています。

3人用座席の両端に座る男性2名。

そんな中、杖をついたお婆さんが乗車してきました。

おろおろとしながら、空いた席を探すものの、一人の男性が大股を広げ、陣取っているため、通常なら利用できるはずの真ん中の席が利用できません。

心の中で、「席つめや〜」と思う私。

どうするのかと見ていると、なんと男性が立ち上がり席を譲りました。

といっても、股を広げていない方の男性です。

思いやりのある、素晴らしい行動です。


ですが、なんとも解せない。


マナーを守って普通に座っていた人が立ちあがり、席を失った反面、
股を広げた男性は座り続ける。

彼が少し股を閉じれば余裕を持って3人座れるのに、です。
ちなみに、その男性は小柄な方でした。

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そして私の隣に座っていた男性も。

コンビニで買ったラーメンやおにぎりといったランチのゴミ袋を足元に3袋ほど並べて陣地を広げ、足を投げ出し、携帯を触っています。

臭いもするし、不快感を覚えましたが、マナー感覚のない、しょうがない人もいるのかもしれない。と思いつつ過ごしていると、会社から電話がかかってきたようで、普通に礼儀正しく話をしていました。(車内で通話に関しては触れないでおきます。)

※治安の悪い路線で起きた話ではありません。

JRでも足を伸ばし、パソコンや荷物を広げて誰も使えないようにし、1人で利用する輩を見かけます。

社会的マナー感覚は持ち合わせているはずなのに、自分が他人の迷惑になっているという自覚がない。

そんな時、私は思うんです。
「ここ、あなたの家じゃないですよ。」
「まるで自分だけファーストクラス料金を払ったと言わんばかりの態度だな。」

“日本人は礼儀正しくマナーが素晴らしい”

という世界からの評価を嬉しく思う反面、

この状況はなんたることか。

電車で新聞を広げて読むおじさんや、イヤホンから酷く音漏れするほど大音量で音楽を聴いている人など、昔から迷惑な人はいますが、注意する人や、イヤな顔をする人、目線で気づかせる人など、もう少し周りも感心があったように思います。


もちろん関わると何をされるかわからないという防衛心も働いているでしょうが、今は、「自由」の履き違えが起こり、「自分さえ良ければそれで良い」が過剰になっているように思います。


これも時代が自由な方向へと流れていく上での、副産物なのでしょうか。

地の時代に重んじられたマナー、ルール、礼儀といったものは、元々お互いに敬意を持って接するために、生まれたものだと思います。

これらは果して不要なものなのでしょうか。

ルール無しでもお互いを思いやり、愛を持って接することのできる「風の時代」は、本当に来るのでしょうか。

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全ては、自分次第。
自分がどう在るか。

誰かに見られているから、〇〇さんだから、職場だから。。。という条件に踊らされることなく、自分という人間を見つめ直し、バージョンアップする良い機会かもしれません。


愛をこめて
たまひろ










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