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頼り続ける.頼られ続ける関係は不健全

今回は初めて日記形式の文章をNoteに残す。現在、おれのNoteに投稿されている文章はたった2つで、両方とも自分の中で、ある程度の納得がいくテーマ、分量、内容を推敲したものを残している。実はもう1つだけとある文章を書いたが、それも改めて読み直すと、文章の稚拙さというか、表現力の足りなさから納得がいかずに消してしまった

おれは本当にゼロヒャク思考が強く、プライドも高く、中途半端に手を出すくらいなら、初めからやらない方がマシだ。不恰好な姿を見せるなら、やらない方がマシだ。と、いつも言い訳をしてきた。だがこれは「何もかも初めから自分の思い通りに物事を進めたい」という傲慢さと、自分の能力不足、努力不足を周りに指摘されたくないという臆病さでしかないのだと思う

そもそも文章に限らず、何かの創作に身を置くことは「うまくできない」「うまく書けない」「うまく作れない」という、ある種の諦念を引き受けないと、全く何も始まらない。上手くなってから、もっと形になってから…と言い訳している内に、気付けば人生は終わっている

大したものじゃなくても、文章は作り続けておきたいという一種の決意の表れで、今回から日記形式であれ、なんであれ、定期的に文章を載せていこうと思い立った。その1回目になる(今は月一くらいで考えてる)

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大きく話が逸れたが、今回のタイトルについて触れていく。このテーマに思い立ったきっかけは、少し前に受けた大学受験模試の現代文にて、自分の琴線に触れる文章があり、それについて深く考え込んだことがあったのが始まりだ

そもそも、集中して問題に取り組むべき時間に、なんで普通に文章に感動して、考え込んでるんだよという話ではあるが、おれには昔から、問題文の内容が自分にとって共感できるものか、嫌いなものか、面白いものか否か…的なことを、試験時間中に考えてしまう悪癖がある。共感して貰える人がどれだけ居るかは分からないが、いつもおれは現代文の試験が終わると、周りがどの選択肢を選んだ?と話す中、あの文章おもろかったな〜とかよく話していた

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またも話が逸れたが、今回、俺が取り上げた現代文の文章にまず触れてから、感想を述べていく。

河合塾.2024年度第2回全統共通テスト模試.国語 第2問。横光理一の小説『夜の靴』からの一節

大まかにあらすじを説明すると、アジア太平洋戦争末年の八月、小説家の「私」は、一家四人で山形県に疎開する。疎開先に住む家のあてはなかったが、九左衛門の紹介で、参右衛門の家の部屋を借りた

「私」は疎開先にて、小説を書いてお金を得ていたが、その金で食糧を得ることは出来ず(当時、金を得ても、金自体が無価値になっていた節があり、金で食糧は買えなかった)、誰も口にはしないが、周りに住む人達に分け与えてもらう食糧で、その日暮らしを続けているのが実情だった。その度に「私」と「私」の妻は、ありがとうございます。ありがとうございます。と頭を下げて感謝を伝え続けた

あくまで食料を分け与えてくれる周りの住民は、純粋な優しさからの行動で、私と妻もそれに真っ当に感謝を伝える構造ではあったが、その生活が続くにつれ、それは実質的に物乞いをする者と何ら変わりはなくなっていた

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以下、特におれの心に深く残った原文を載せる

「細々ながら一家四人が喰べていられるのは、不意に近所から貰ったり、清江(知り合い)がそっと私たちにくれるからである。妻は毎日あちらに礼を言い、こちらに礼を述べ、密かに私が聞いていると、一日中礼ばかり云っている。あんなに礼ばかり云っていては、心のありかが無くなって、かえって自分を苦しめることになるだろう。実際、物乞いのようにただ乞わないだけのことで、事実は貰ったもので食っている生活である。人の親切は有難いが、これが続けばそれを予想し、心は腐ってくるものだ」

「『ほんとにお金で買えれば、どんなに良いかしら。あたし、お礼を言うのにもう疲れたわ。』と、ある日も妻は私に歎息した。物をくれるのに別に人情を押し付けてくるのではない。ただ自然な美しさでくれるのだが、それなればこそ一層私たちは困るのだ。

一度頭を昂然と上げて歩きたい。恩を忘れる喜びを人に与えたものこそ、真に恩を与えたものの美しさだろう。間も無く私は東京へ戻り、忘恩の徒となり、そしてますます彼らに感謝することになるだろう。」

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以上、こんな文章になっている。これを読んでどう感じるかは人それぞれだろうが、おれは受験当日、この文章に感動して、その後に続く古文と漢文に集中出来ず、ずっとこの文章の内容を反芻させ、自分の中で色々と思考を巡らせている内に、回答時間が足りなくなったくらいだった

おれが載せている自己紹介の文章、また浪人に関する文章を読んだことがある人なら分かるかもしれないが、おれは病気、浪人といった立場になり、数えきれないほど家族や友人、先生などの様々な人に迷惑をかけ、また手を借り知恵を借り、人を頼って生きてきた。別におれは絶世の美男美女という訳でもなく、さして人望がある訳でもなかったから、そんな俺を下心で助けようとする人なんて居なかったし、おれのことを助けてくれた人、手を貸してくれた人、頼らせてくれた人たちは全員、善意からの行動だった

そこに何の悪意も下心もなく、純然たる善意だけがあったからこそ、おれは何度も頭を下げ、周りに何度も感謝を伝えたし、迷惑をかけた時は何度も謝意を伝えてきた。そこには何の不透明さもなく、明白で分かりやすい関係性しかなかったのに、何故かおれはずっと心苦しかった

今回触れた文章で言えば「お金という対価を払って食べ物を買えたら、なんて心が楽になるだろうか」と述べていたのと同じで、おれは病気になった立場で、しかも浪人して、自分には何も持っているものなんてない人間だ。食事に行けば既に大学生になった友達がお金を支払ってくれたりするし、慰めの言葉も、心配の言葉も、アドバイスも、何でも善意でしてもらえたりするが、おれから相手にしてあげられる事なんて何もない

おれはずっと頼り続けている立場で、ずっと微妙な罪悪感と、劣等感と…なにか言葉にならない申し訳なさをずっと持っていた

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たとえそれが恩着せがましいものでなかったとしても、真っ当に善意を受け取る者にとって、その恩はずっと着続けなくてはならないし、その恩はなにかで返すことができないと、返せていない恩として、ずっと息苦しく感じながら背負って着続けていくことになる

そうして、少しずつ尊厳がなくなっていく。誰に手を借りることもなく、自立して、頭を昂然と上げて歩ける様になる事こそが、本当の意味で救われたと言えるのだろうなと、今では思う

一見、苦境にいる人が誰かに頼り続ける状態、逆に頼られ続ける状態というのは「善意に感謝する者」と「善意を与えて感謝される者」という、綺麗で透明性のあるものの様に見えるが、そうじゃない

「返せない恩」という罪悪感と劣等感を着続ける側は、相手に何の非もなく、下心もないからこそ、より一層、自らの尊厳が失っていくのを感じるのだ

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