見出し画像

エベレスト級

仲のいい友人とごはんを食べながらする話題といえば、仕事のこと、勉強のこと、家族のこと、最近出かけた(旅行の)話、ハマっているエンタメ・コンテンツ…など、になる。以前は定番だった「恋愛の話」というのは、かならずしもしなくなってきた。しなくなった、というよりも、「具体性をともなう話をしなくなった/できなくなった」と言うべきか。

今きになる人だとか、すきな人だとか、について、具体てきな話をすることが減った。わたしも、まわりの同世代の友人も、話のネタがない。ここ数年、わたしには気になるひとが現実にいないし、作ろうとしてみたものの、独りでいるあいだに醸成された理想がとんでもなく高まっているため、出会いの場に行ってもつまらなさばかりを感じている。まわりの独身の友人にも「ステキな」出会いがなさそうだし、結婚している友人にはそういうことが原則として起こり得ないため、具体性をともなう恋愛関係の話をすることが減ってきた。

ただ、具体てきなことは何一つ起こっていないけれども、話題としてはおもしろいので、恋愛関係の話をしないこともない。「〇〇さんと今度ごはんに行くんだけど、どんな話すればいいかな?」とか、「●●さんからこんなライン来たんだけど、どういう意図?」のような相談は、相手がいないため、したくてもできないけれど、「〜〜のようなひとがいい」とか「〜〜さえしなければいい」のような理想・条件などを話すことはいくらでも可能だ。

先日友人とごはんに行ったとき、わたしは「とにかく何をしても、ほめてほしい。皿を洗ったらほめてほしいし、そうじしたらほめてほしいし、朝寒いのにがんばって起きるじぶんをほめてほしいし、毎日お仕事がんばっててエライとほめてほしい。何もネガティブなことを言わないで、ただただほめてほしい」と発言した。すると友人は、「そりゃ相当さみしさ感じちゃってるね、エベレスト並」と言った。

わたし、さみしいの???

たしかに最近「やさしい年上のひとにほめてほしい欲」が高まっているのを感じていて、でもふつうに独りなので、じぶんでじぶんをたまにほめるにとどまっている。でも、この状態は、友人曰く、エベレスト級のさみしさ、であることは、まったく考えていなかった。目からうろこだった。そうか、さみしいのか…

一度そう認識すると、せつなくなる。でも独りだから、なす術はない。わたしにできるのは、春が来るのを待つことだけだ。早く暖かくなって、お花の季節になってほしい、とおもった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?