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針と糸

エッセイを読んでいます。昨日読み終えたのは小川糸さんの『針と糸』です。

ベルリンに長期滞在していた際の話を中心に、母親のことや小川さんが大切にしている価値観についての話が収録されていました。

一つずつの話がコンパクトにまとめられているので、とても読みやすく、気づいたら全部読み切っていました。

このエッセイをこのタイミングで読めたのは僕にとって、とても大きな事だと感じています。

何故なら僕は今年エッセイを中心に書いていきたいと考えていて、エッセイの書き方の一つのお手本を小川さんに示していただいたからです。

エッセイには自分が体験した事を堂々と書いて良いのだと学びました。

小川さんには小川さんが体験してきた事があるのと同じ様に、僕にも僕が体験してきた事があります。

その体験を文字として共有する事で、ある人にとっては共感になるし、ある人にとっては新しいことを知るきっかけになるのです。

自分にとっては些細な出来事であると感じるような事でも自信を持って書いていっていいんだよ、と小川さんに背中を押してもらえたような気がしています。

早速、日曜日のスーパーが混んでいた、というだけの体験を一つの記事にしてみました。

書いてみると案外書けるものです。(小川さん風にしようとしたのですが、もちろんその領域には達せず、小川さんの凄さも肌で感じることができました。)

こういうので良いんだ。何か特別な経験を書く必要は無い。変に誇張して書く必要も無い。その時に体験したこと、その時に感じたことをなるべく素直に書けば良いんだ。

そう思ったら、なんだか勝手に絡まっていた糸が解けた気分です。

そういえば小川さんは、タイトルにもあるようにエッセイの中で針と糸についても言及されています。

針だけでは何も生み出せないし、糸だけでも何にもならない。針と糸の両方があって、初めて何かが産み出される。

とても素敵な考えだと思いました。

僕が仮に針だとしたら、糸は妻であり、両親であり、記事を読んでくれる皆さんです。

糸が存在してくれる事に感謝を忘れず、針であれる自分も誉め続けてあげたいと思います。

終わり


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