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やりたかったことを、やってみる

「いつか」「また今度」。そう思っていることがたくさんある。
小さなことから大きなことまで、たとえば先日通りがかった駅向こうのカフェに行ってみたいとか、魔女の宅急便を全巻読みたいとか、ペーパードライバー講習を受けたいとか、デンマークに行ってみたいとか。

泳げるようになりたい、というのもそのひとつだった。

今年の春ごろ、小学4年生の娘を水泳教室に通わせた。最近は小さいうちからスイミングに通う子が多い。けれどそうではなかった娘は、気づけばクラスの中でも「ほとんど泳げない子」のカテゴリにいる。泳ぎは勝手に覚えられるものでもないし、海辺の町に暮らしているわけでもない。習っている子とそうでない子の差は、歴然だ。

スイミングに通わせなかったことを悔いながら、区の広報誌に見つけたのが「小学生のためのはじめてのクロール全8回」という教室だった。週1回、約1時間、集中して2ヶ月通うことで25メートル完泳を目指すというものだ。これなら、学校のプール開きの頃には泳げるようになっているかもしれない。

そんな淡い期待を抱きながら送迎を続けること2ヶ月。そこから夏もあっという間に過ぎ、娘は、ひとつだけ級を上げた「蹴伸び15メートル」という記録で今年の水泳の授業を終えた。

そして、わたしは娘に何度も問うてしまったのだ。
「ねぇねぇ、どんなふうに習ってたの? ちょっとはできるかも、っていう感覚だけでも身についた? 25メートル泳げるようになるって書いてたけど、周りのみんなはどうだったの? ねぇ、せめてクロール15メートルとかさ、合格できなかったの?」

実際、その教室で25メートルを泳げるようになった子がいたかどうかはわからない(娘いわく、「みんな泳げてなかった気がする」)。

ただ、ひとつわかるのは、理屈だけで「泳げるようになるはずだ」と陸から声を上げているわたしと、実際に水の中で手足を動かしている娘とは、なにもかもが違うということだ。
「どの口が言う」とはまさにこのこと。果たしてわたしがこの講座を受けたら、25メートル泳げるようになるのだろうか。

そうして見つけたのが、「大人のためのはじめてのクロール講座」だった。こちらもまた初心者に向けた講座で全6回、25メートルの完泳を目指すらしい。

「これだ!」と思った。いつか、いつかと思っていた夢を叶えるときがきたのだ。それも、娘の気持ちを理解できるかもしれないという大きなオプションつきで。

申し込んだら、きっとなにかが変わる。

そんな気持ちがむくむくと湧いてきて、やるならいましかない、と申込みに走った。

「少し先ですので、お代金は後日でも」と、のんびりとした口調で受付の女性は言ってくれたが、鼻息荒く「いま支払います!」と張り切って財布を開いた。隣では、自分よりも30は年上であろう女性が申込んでいた。

講座は11月なかばから。12月末には、わたしはこれまでと別のわたしになれているかもしれない。そう思うと、からだがホコホコして、わくわくしてくる。

まだ始まってもいないし、水に浸かってもいない。けれど、大きな一歩を踏み出したようで、それだけで世界が違って見える。

「やりたいこと」を、ひとつずつ自分の手で「やる」に変えていく。夢や願いは誰も叶えてくれないし、舞い降りてもこない。動いて、つかむのはわたししかいないのだ。

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