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共助の間で揺れる心。

私が住む集落のまちの良いところであり、同時に危ういところでもあるのが、このまちの運営がひとりひとりのボランタリーな精神や活動で支えられている点ということに、最近気づきました。

なぜ危ういかを説明する前に、「このまちの運営がひとりひとりのボランタリーな精神や活動で支えられている点」というのがこれからの地方運営の鍵になると思うので詳しく書きます。

昨年9月から暮らしはじめ、この町が美しく保たれているのは、まちの予算を超えた、ひとりひとりの奉仕の気持ちなのだ、気づきました。自分が自分や家族を助けるのが自助、行政や公的機関からの支援が公助だとすると、その中間、顔の見える地域の人たちで支え合うのが共助と呼ばれる部分です。

考えると、集落は、共助の塊のようなものです。奉仕作業や清掃、まちの行事サポート、さまざまな共助が存在します。まちでは、何人もの人が、まちの○○委員というものを兼任し、会長職にある方は、そのスケジュール帳を覗けば、1日にいくつも予定が入っているなんて日もあるようで、頭が下がります。まるで仕事かのように、日々まちの安心安全のためにかけまわっておられます。その活動は全て、無償で取り組まれています。きっとそれは集落にとっては当たり前のことなのです。その方の父母も、そのまた父母もそうしてきたのではないかと思います。

まちのおばあちゃんを見ても、家の前で話をしながら、無意識に家の前に生えた雑草をとっています。それが自分の家じゃない、私の家でも、誰かの家でも、誰にも見られてなくても、気になったら手がすっと手を伸ばします。このまちでは、何気ない日々の中に、まわりの方々を思いやるという意識が、しっかりと編み込まれているようです。

そんなのかったるいぜ!という人は都会にでて、思いきり自助を謳歌してもらえればと思うのですが、それでも私は東京でまちづくりに関わり、六本木や赤坂でも共助の姿を見せてもらいました。このまちと同じように、その濃度は違えど、日本中どこにでも共助は存在しているように思います。

これから国からの交付金が減り、行政の援助を得ることが難しくなってくるとすると、地域は自分たちで自治運営をしていくことになるかもしれません。現状、もはやそうなっているのかもと思います。そこで、共助の力がない地域は、公助の予算が行き届かず、荒れ果てていくのだと思います。幸いにもこの集落は、圧倒的な共助力があります。助け合う習慣がないところに根付かせるのは大変難しいと思うのですが、このまちは違う。私はこの町をロールモデルに学べることがあるのではないかと考えています。【地域が支え合う形】をもう少しじっくりこの町を舞台に見ていきたい、そう思っています。

そんな褒め称えているこのまちの共助の力ですが、最近、危うさもあるということに気づきました。それは「有償」の存在です。助け合い、ボランティアで成り立っているところに、同じように活動しながら有償で活動する人が現れたらどうでしょうか?

同じバスでまちづくりの視察にいくのに、隣に座るこの人は有償、私はボランティア。有償で活動している人から公共の場所の草刈りを頼まれるとなんだかやるせない。「有償」と「無償」どんな人でも、必ず、比べてしまう部分が生まれると思います。そう思わない方が不思議です。なんだかそれが、「危ういな」と思うのです。へたらしたら、有償の人が全部行えば良いじゃない!となりかねません。でも有償の人だって、月に20万30万ともらっているわけではないのです。

私が今わかっていることは、この集落の、人々の優しさ、思いやり、そういったものが溢れる無償のまちで活動する人は、1円でも報酬が発生する場合は、成果を出す、もしくは、成果が見えにくいことであれば、伝えるということが大事だと思います。なんとなく伝わっているだろうではなく、言葉にする、紙に落とす、色々なところで報告することが大事だと思います。

「無償」と「無償に近い有償」のケースで、【その関係をどうデザインしたら、うまく作用するのか?】ももう少しじっくり考えてみたいです。

一方で、「無償」や「無償に近い有償」だけでは、立ち行かない部分があると感じています。それは、そのまちのビジョンを見つけ、まちに浸透させ、そのビジョンをもって地域を運営をしていくというマネジメントの部分です。

「有償プロフェッショナル」の ケース です。

ビジョンをつくりではなく、ビジョンを見つけ、としたのは、ビジョンはもうあるからです。それについてはまた一記事書けるので別でご紹介します。

その、「有償プロフェッショナル」として、今年わたしは、この無償が溢れるまちで、有償のまちづくりを行います。プロというとおおげさですが、仕事としてやる以上は、しっかりやらねばと思います。いただく1円の重さが、100倍ぐらいでのしかかります。身の引き締まる思いです。議員は制度を作ります。制度をつくらない私はもっともっと成果にコミットしなくてはならない、そう思うのです。このまちの未来のために、いままで誰もが思いもしなかったことをしなくてはと思います。

実は、今回、まだまだタイルに注力しなきゃなという思いもあり、できればそのすべての任を他の人にお願いしたいなと思いましたが、結果、自分が見つけた仮説は自分で検証いかなくてはならないのだと思いました。もちろんまわりの頼りになる友人の助けを得ていかないと叶えることは無理だなとは思っています。

思えば、家業の釉薬メーカーの仕事もそうだったのです。他の人に任せたいと思った時もありました。でも、やっぱり、自分与えらた使命を他の人には渡せないと気づいたのです。人に任せようと思うなんて人生そんなに甘くないと。いまもその時と一緒の感覚で、結局、私はまちづくりからは逃れられない。タイルづくりもまちづくりも、両方やっていくしかないのかと思います。

「うまく心の世渡りをしなさい。」

と、先日まちの方から言われました。人と人は心で繋がっている、心の世渡りが大事だよと。果たして、うまくできるでしょうか。今年も色々試される年になりそうな予感です。

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