違いを受け入れること

音楽性、方向性、考え方、価値観…

世界にはいろいろな「違い」がある。よく耳にするの音楽性だろうか。アーティストが解散するときに使われる定番のフレーズ。音楽は好きだけど、奏でるのは好きだけど、一緒に演ることはできない、そんな関係でもある。

音楽に限ったことではない。仕事だって、日常生活だって、趣味だってなんにだって「違い」ははらんでいる。同じものが好きなはずなのに、仲違いしてしまうこと、きっと多い。

それは野球好きのなかでもよくあること。同じ野球好きでも考え方の違いがもとで起きる争いはいたるところで行われている。

同じチームのファンでも考え方の違いや好きな選手の違いで、それは起こりうる。

ぼくも野球ファンになってから数十年のとき経過しているわけで、そんなことは珍しくともなんともない。好きにやってくれ、としか思わない。

SNSで誰でも気軽に発信できるようになってから、その様子は大きく変わった気がする。もちろん野球に関することだけではない。

違いを受け入れられない、もしくは受け入れる気がサラサラない。そんな人がとても増えた。もちろんSNSが上の人格だけかもしれないけれども、本当の人格など知る由もない。

いろいろな「違い」を受け入れられないと、現実世界を生きるのはむつかしいのではないかな。なにからなにまで批判、なにからなにまで擁護。どっちもどっちで目に余る。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、贔屓の引き倒しとはよく言ったものだ。

こちらサポートにコメントをつけられるようになっていたのですね。サポートを頂いた暁には歌集なりエッセイを購入しレビューさせて頂きます。