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音楽とわたし②

わたしの人生において欠かすことのできない「C-CLAYS」との出会いを語ります。

前回noteの続きです。

知人のお誘いで作詞家・天音未優が誕生

ボーカルを辞め、音楽スタッフを辞め、音楽から遠ざかっていたとはいえ、私を囲む人間関係はなにかしら音楽に携わっている人たちでした。このときの本業は法律関係のOL。ごく一般的なOLです。

今だから思いますが、当時を振り返ると音楽活動における人間関係のつながりはとても重要です。実力や経験値も大事ですが、最も大事なのはつながりです。なぜなら音楽はひとりで出来ないからです。知らない人より知っている人、の世界だからです。

そんなわけで当時、よく飲みに行ったりしていた作曲家の方に「僕の知り合いに同人音楽をやってる人がいるんだけど、詞書いてみない?」と言われて、同人音楽?ナニソレ、おいしいの?でも詞を書く事は好きだからやってみたいよ、ということからはじまりました。

同人音楽・ボカロ、東方アレンジ、最盛期の時代を泳ぐ。

この2021年になり、うっせぇうっせぇやチックタックと鳴るセカイで何度だって、が邦楽の主流として台頭してきておりますが、これらの音楽を聴いたとき「あぁ、ついにネットの境界線を飛び越えてきたな」と感じたものです。最近のTik Tokで流行しているもの、若者が聞くもの。すべてネット発だと考えるとネットからこちら側の世界への浸食は完了したのかもしれません。

いわゆる「同人音楽」(ネット音楽)として、2007年の初音ミクの販売からスタートし、パソコンと環境さえあれば誰でも曲を作れるようになったあのとき。音楽が大衆向けから個人向けに切り替わったあの流れを私は今でも鮮明に覚えています。なぜなら「正直ついていけない」と25歳の私ははっきりと思ったからです。

なぜついていけないと思ったのかは、今回はテーマから外れるのでまた別記事で書きます。

作詞を書かせて頂くにあたり、知人に紹介されたのは東方projectというPCゲームのアレンジ同人音楽を制作している「C-CLAYS」さんの当時の制作プロデューサー(以下、制作P)をしている方でした。

ネットのこと何も知らないところからのスタート

今でこそネット文化にも多少詳しくなりましたが、それまでの私はV系が好きだったりクラブ系音楽が好きだったりする人間で、ネット文化には全く詳しくありませんでした。

制作Pからは「C-CLAYSのSpring Showerという曲がニコ動の1位を取っていて100万回再生を超えているので、次回の新譜にも注目が集まっている分、原作に基づいて制作して欲しい」と言われて、私は言語が違う人と話している気分でした。

当時の私はかなりの生意気で、各方面に天然で喧嘩売るプライドの高いKYな人間だったので「ニコ動で1位を取ることがそんなにすごいことなの?オリコンじゃあるまいし」と上から目線で発言したことを記憶しています。あー、当時の私の頭をはたいてやりたい。

その後、制作Pと親しくなるにつれ、何度も出逢いのことを掘り起こされた記憶があります。

忘れかけていたゲームと音楽の情熱が再び目を覚ます

制作Pとの顔合わせが終わったその日の夜。
資料として頂いたC-CLAYSのこれまでのリリース曲と東方紅魔郷のゲームを開いてみて、私はおったまげました。

なんぞこのカッコイイ曲は!!!!!!!!!!!!!

邦楽っていうか音楽をほとんど聞かなくなっていた当時の私にとってC-CLAYS「純真Velvet」はすんごい衝撃でした。めちゃくちゃカッコイイ曲やん…。痺れました。こんな音楽がTVにもラジオにも流れないなんて。自費出版の音楽がこれほどのクオリティになっているなんて目から鱗でした。

インディーズで活動している人たちの音源はよく聞いていたので、C-CLAYSもおそらくそれくらいだろうと勝手に予測を立てていたんですが、「なんでこの人たちプロじゃないの?」って普通に思いました。

その当時2009年。日本の音楽業界はもうどん底でした。

CDが全く売れない、AKB48の名前をチラホラ聞くけど、まだAKB商法が確立されなかった頃。ノーマルのCDが全く売れず、サブスクもなく、日本の音楽どうなるの?って右も左も行けなかった頃、ネットの音楽がスゴイことになってる!!面白いことはネットで起こってる!!!って思いました。

東方紅魔郷もシューティングゲームとしてプレイし、めちゃくちゃ面白い(難しいけど)キャラクターの衣装や造形も独特で、中でもBGMがいい。聞いているとテンションがあがってくる。マウスを握る力が強くなって手汗がべたべたになる。アドレナリン分泌を止まらなくさせる。気づいたら1~2時間経ってる。

元々小学生の頃はドラクエやFFやシムシティなど、寝る間も惜しんでゲームをするような子供でした。けれどインターネットが普及してパソコンでゲームができるようになってからはゲームをしなくなりました(大人になったし)スーファミ、セガサターンくらいまではがっつりゲーム好きだったので、そんな私と東方Projectは相性が良かったようです。

作詞!!!!できるかわからんけどやってみよう!!!
ということで取り組み始めました。

初めての作詞曲「哀しみに霞む摩天楼」

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こうして完成した「哀しみに霞む摩天楼」(原曲:神々が恋した幻想郷)はカラオケでも配信して頂き、作詞家としてのひとつの夢も叶えさせて頂いた思い入れのある1曲です。

自分の音楽活動では作詞をしていましたが、ボーカルさんが歌うために作る歌詞というのはこのときが初めて。戸惑いもあったし、どこまでどれだけ東方の要素を入れていくべきなのか? キャラクターを描くべきか?に悩まされました。

その割合に悩みはしましたが、私の中で譲れない部分ははっきりしていました。それは現在でも変わっていません。私が音楽というものに求めていることです。それは「普遍性」です。時代が変わっても、変わらず、一人でも多くの人と繋がれるような、共有できるような感覚や想い。

全部の音楽に求めているとも限りませんが、音楽はできるだけそうあってほしいと私は思っているし、願っています。なので逆を言えば、超個人的な感情、感覚が主体となった歌詞(※個人による)って注釈がつきそうな歌詞は良くも悪くも疑問符が浮かびます。

私はその普遍性を「哀しみに霞む摩天楼」にどう落とし込もうと悩みました。個人的な楽しみを見つけるのがインターネットの醍醐味。細分化されていく個人の好み。マニアック路線を貫いてもいいその場所と普遍性というのは相性が悪いんじゃないか。悩みました。

C-CLAYSの制作Pはマニアックな路線で作詞にする人でした。
それが楽曲の根底を支え、ボーカルさんの圧倒的な歌唱力で縦横無尽な広がりを与え、キャッチーなアレンジ力で人の耳をこっちに向けさせることができる。そんな三位一体がC-CLAYSの代表曲を制作したチームには存在していました。

そこに私のようなどこの馬の骨かわからん者が、普遍性を唱えていいのか?かなり挑戦的だったと今となっては思いますが、ある意味、小さいことかもしれませんが自分自身のこだわりで勝負してみた、ともいえます。

書きたかったのは友情

特に深いことは書いていません。難しい言葉や東方好きの人しかわからない言葉を使うのは、まずはやめておこうと考えたからです。

このアレンジの原曲「神々が恋した幻想郷」は東方風神録の3面の道中曲(ゲームプレイ曲)、その登場キャラクターが河城にとりという河童(カッパ)の女の子なんです(一般の人はこの時点で????ってなる)
東方wiki見てもオタク以外は理解が難しいと思われます。

それくらいに原作と二次創作で巧妙に作られたキャラクターの設定を歌詞に変換していったら、音楽として成立できるのか自分でも不安でした。

主人公の霊夢(人間)とにとり(河童)では生態系が違うし、何よりも生きる時間が違います。にとり側からの視界を推測したとき、自分の前を通過していく生命体はたくさんあるんだろうなあ、と考えました。そのときの切ない感覚と、神々が恋した幻想郷と呼ぶくらいの美しい幻想的な風景。

この2つを歌詞に落とし込もうと考えてできた歌詞です。

「私はいつだってこの場所で待ってる。」
永久の約束
枯れ果てていく心とこの体
キミと共に生きよう 盟友である意味 すべて

「盟友」というキーワードがなぜ出てきたのかが興味ある方はこちらを読んでみてください
歌詞ではこのように帰結させました。

幻へ消えていく キミを探して
「さよならは云わない」

この歌詞で書きたかったのは
「私はいつだってここで待ってるぞ。(だから今別れが必要だったとしても)さよならは云わない(また逢えると信じてるから)」という感情。
友情です。

実際の我々人間は寿命があるので、時空間的にずっと待ってるぞと言うことはなかなかありませんが、たとえば友達にショックな出来事があり、落ち込んだりしていたときに「キミが立ち直るのを待ってるよ」と思う場面はあると思うんです。

喧嘩したりして「もうお前とは一生会わないからな!」と啖呵を切ったとしても「バイバイって言いたくない」っていう感情があったりとか…。それって友情っていう感情でつながってるから、私はそう思うんだと思うんです。そういう普遍的な感情、にとりというキャラクター、東方projectという世界観、そこを掛け合わせたものがこの「哀しみに霞む摩天楼」です。

幻想郷を摩天楼と言い換え、神々が恋するほど美しい景色が「さよならは云わない」と決めた切ない悲しみで滲んでいる。自分で言うのもなんですが、かなり日本的ないじらしさがある作風になったかと思います。

よろしければ、神々が恋した世界はどんなものかイラストで見てみてください!

2009年から10年も及ぶ活動へ

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この楽曲を書かせて頂いた2009年から2019年(以降、コロナや環境の変化で制作ストップ)まで、約100曲ほどの作詞をさせて頂きました。

多い時で1.5か月で12曲を書く、とか3時間で2曲書く、とか今となっては信じられない制作スケジュールでたくさんの音楽に歌詞をつけることができました。

レコーディングに参加したり、大きなライブ会場で自分の書いた歌詞が歌われて、それに呼応してくれるファンの方がいて。作詞家としては十分すぎる環境を見せてもらえたと感じています。

一番うれしかったのは、自分の作詞曲に合わせて、ダンサーさんが振付を考えて、ボーカル&ダンサーで踊ってくださったこと。①でも書きましたが、自分が踊りたくても踊れないけど、ダンスミュージックが好きということを作詞という形で叶えることができました。

またなにより東方projectを通して出会った人たちは、制作陣・ファン・関係なく今でも私の友人だったり飲み仲間だったり趣味仲間だったりします。作詞活動でもたらしてくれたものも大きいですが、1番は人との出逢い。宝物ですね。天音未優として後期の楽曲にはそういった出会いやつながりに対する想いを込めるようになりました。

興味があればぜひC-CLAYSさんの楽曲を聞いてみてくださいね

C-CLAYS公式さんで紹介して制作インタビュー掲載。

次回予告・音楽とわたし③は……

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影響の受けたアーティスト・楽曲・好きな音楽について語ります!
やっとこのときがきた!(ここまでが長かった!笑)





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週末カメラ女子/ No Music No Life / 2017年に上京。大阪人のくせに東京に恋しちゃってる