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ヒルさん(ナショナルトラスト設立者)のことば

なんだか最近SNSを使っていると疲れてしまい、よく離れるようにしている。周りの空気感からコロナのことを書かなきゃ行けない義務感にかられるけど、義務なんてないし、ちょっと離れたい。

土岐さんのインスタからのおすすめ音楽。いつも聞いてた曲とかぶる。Skylineとかお気に入りだったな。

で、そんな時に久々に目にした、イギリスにいたときのお気に入りの本、山崎亮さんの「コミュニティデザインの源流 イギリス編」が目に留まる。

第4章は、オクタヴィア・ヒルという、イギリスでナショナル・トラストを立ち上げた女性のことが書かれている。ちなみに、ここに出てくるイーストロンドン、ホワイトチャペルは、貧困層の住む地域と言われるところ。(個人的にジェントリフィケーションにも興味があって、ロンドンのジェントリフィケーションで有名な地域とか街歩きしたこともある)

イギリスにいたとき、私とは違う方向からまちづくりに関わる活動をしている友人に、イーストロンドンを案内してもらったけれど、イギリス人のほとんどいない、ほぼ移民のバングラデシュ人率の高い地域で、学校の8割がバングラデシュ人で、イギリス人の方がマイノリティ。役所の電話もバングラデシュ人向けの言語で、第二言語が英語だったとか言っていた気がする。

子育て中の友人は子守をいつも助けてくれるご近所さんのおかげで、都市のロンドンなのに、地域の見守りシステムの働く不思議な魅力を話してくれた。貧困も、経済の指標に過ぎなくて、人の優しさとか、地域性とかそんなのは指標には含まれていない。住みやすさも大切だと思う。(治安はもちろん気をつけなきゃいけませんが)

イギリスは差別をしないポリティカルコレクトネスという思想のため、目立った差別をするイギリス人はいないとか。私も差別、ほとんど受けなかった。(きっと性格や家庭環境で差別する人はいるかもしれませんが)イギリス、私にもとってもブライトンもトットネスも住み心地がよかったです。
ポリティカルコレクトネスの自然と根付いたところとか、異なる文化や人種、宗教の人を一人の人として受け入れる空気感が好きでした。(中東系のお店だらけのところはロンドンっぽくなく少し怖かった時もあったけど^^;)

でも、農村から都市への人の移動に伴うスラムの発生、田舎への回帰意識は日本も他の国も持っている側面だと思うけれど、多様性の受容力とかは、きっとイギリスの方が進んでいて、多様性を認める姿勢は日本はまだまだな気がする。
東京とかコンビニは外国人の労働者が多いと言いつつ、それは労働力として扱われているだけな気もするし、加えて観光客としてのインバウンド、経済的効果を狙う対象なだけであって、日本は多様性の受容力とか、人種、国籍関係なく、そのままの一人の人として受け入れようとする姿勢、LGBTQ+などのジェンダーの多様性、NGO活動、環境に配慮した生活、何かを支援するための寄付文化などもっとあってもいいのではと思う。

多様な学術施設のある、多様な国籍を持つ大学があれば、いろんな視点のサークルやコミュニティ活動もある気がするし。ロータリークラブの寄付を募る活動も色々されてたし、寄付をすること、気候変動へのアクションなど、イギリスの中にも賛否両論あるけど、 小さなしがらみ、ルールにしばられない社会はとても心地よかった。(eco-friendlyな価値観のホストファミリーのところにいた時は、ビニール袋を使うのが環境に悪いのがわかっていたので使えず...日本は当たり前のようにビニール袋やサランラップを使いまくるのでギャップに驚きます。笑)

イギリスがやっぱり恋しいです。今は戻れないけれど、大好きなところ。

話は戻って、ヒルさんの言葉で印象に残ったところ。

" 私がこの世からいなくなったとき、友人たちが私たちのやり方を盲目的に踏襲しないことを願っています。状況が変われば、違った努力が必要になるはずです。永続させるべきなのは私たちの運動の精神であって、精神を失った形式ではありません。(p.131) "
" 一番遺したいのは、どんなに立派なものであろうとも形あるものではありません。過去の栄光でもありません。鋭敏な目と誠実な力、より良い生活を実現させようとする大きな希望と高い理想。そしてこれらを実現するための忍耐力を遺したいのです。(p.131) "

これを書きながら、イギリスの諸々の思い出や人との出会いが浮かんでうるうるしてきたけど、コロナを通して、今までの経済の仕組みが、病原菌という存在で人の命を守るという観点に変わると、一斉にストップする。ジャックアタリか誰かが、気候変動への対応策の実行、環境を守る活動を呼び掛けても人の経済活動は止まらないが、人々の命が関わるとストップするのか、と言っていたけど、人間中心の経済活動は、歪みが大きくて、いずれにしろ、私たちは生活の仕組み、社会のあり方を変えざるをえない。

自分がサセックスで学んだこと、国連の提唱するHuman Developmentとかは、やっぱり人間中心の開発の視点が強かったように感じます。個人的には少しずつ生態系をしっかりと含めた、ディープエコロジー的視点の開発に移行していくことを願いつつ。UNDPや様々なメディアが呼び掛けている、ミツバチだけが植物の交配を助けているわけじゃない。

話があちこち飛びすぎだけど、微生物などのバクテリアや、ミツバチなどの小さな生き物や安心できる食べ物を育む土壌、山と海、そんな小さな生き物たちの積み重ねや自然の仕組みから生かされていること、過去の先人の人々の努力の積み重ねによってぐんと便利な世の中に暮らしていること、私の人生の一つ一つも、(留学含め)様々な人々の優しさ、支援、応援によって進んでこれたこと、いろんなことに敬意をもち、感謝を忘れない人でありたい。私は頭がいいわけでもないけれど、人の心の痛みや生き物に寄り添える人間でありたいな、とはちょっぴり思う。

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