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東京の街に行ってきました。

東京の街に行ってきました。
といっても3月末の話なので、かなり時間が経ってからの報告になります。

久しぶりのライブ遠征の旅なのですが、
実はこれが私にとって初めてのコロナ禍における旅行でした。

旅の最中も、そして旅を終えてからも随分と考え込んでしまう体験となりました。
旅から2か月近く過ぎてから少しずつ気持ちの整理がついてきたので、その顛末やらあれこれ考えてしまったことやらを遅ればせながら書き記したいと思います(というか半分愚痴のような内容になっています)。


僕らが旅に出られなかった理由

旅行へ行く、というか地元の町を出てどこかへ行くこと自体があまりにも久しぶりでした。
最後に旅行したのが2019年の12月でしたから、丸々2年以上も経ってしまっていたのです。

私の住む山合いの小さな町は、田舎特有のどうしようもない閉鎖的な空気に支配された街です。
新型コロナ感染者が1人でも出れば町じゅうが大パニック。
旅行のために町の外に出るなんてまさに狂気の沙汰扱いなのです。

※この辺りの細かな事情については本当にエグい話になってしまうので今回は割愛です。閉鎖的な田舎町に住む者の残酷なあるある話ではありますが。

しかし、今回はどうしても3年越しで見届けたいコンサートが東京の約束の彼の地で行われるため、周囲の反対を押し切って東京まで行ってきました。

出発間際になって上司から言い放たれた、
「もし感染してきたら、(仕事も)(生活も)どうなるかは分かっているよね…」

そんな重い十字架のような言葉をズシリと背中に背負ったままで出発です。

人の多さに唖然とするばかり

いざ2年ぶりに町を出て驚いたのは、コロナ禍以前とさほど変わらない人の多さでした。

バスを何本も乗り継いで辿り着いた最寄りの空港のターミナル。
ニュース映像に映るような閑散としたガラガラのロビーを想像していたのですが、まるでコロナ禍以前と遜色のない混雑ぶりです。

困惑したまま手荷物検査を済ませて搭乗口前に進みますが、とにかく人が多い!機内に乗り込んでからさらに愕然とします、この便はどうやらほぼ満席状態らしいのです。

念のため医療用の高機能マスクを着用してきましたが、このガッツリと密な状態では不安が先走ります。私の隣の座席もしっかりと埋まってしまい、不安がさらに膨れ上がります。

結局、それから飛行時間の大半を窓の外の雲よりもどんよりと曇ったような気持ちで過ごしたのでした。

その街の名は東京

どんよりとした気持ちで羽田空港に降り立ち、到着口を出ると、そこはやはり人の波でした。正直言ってコロナ禍前とほとんど変わっていない!
ただ一つ違うのはほぼ全員がマスクを着用している、という点だけ。

これまで2年以上田舎で鎖国同然に閉じ込められてきた私にとっては、何だか眩暈のする光景です。

そのまま京急のホームに降りて行っても相変わらずの混雑ぶりで頭がクラクラします。車内でもロングシートに皆が密着して座っているし、なんなら普通に喋っている若者もいます。

コロナ禍における日常が、東京と田舎町でかくも違うものなのかと見せつけられて泣きそうな気持ちになって堪えました。
何もないあの田舎町で息をひそめるように耐えながら暮らしてきた2年間は…無意味そのものだったと宣告されたようなものです。

そこからさらに地下鉄を2本乗り継いでやっと九段下に辿り着きます。
這い出るように地上へ出て、九段坂を見上げるとほぼ満開の桜が春のまだ冷たい風になびいています。
その景色を見て、正直ちょっと泣けた。

夕方のラッシュに差し掛かりそうな時間帯をギリギリですり抜けることに成功して、ホテルにチェックインして倒れるように部屋に飛び込んだら、本日の逃亡劇はようやく終演を迎えるのでした。

東京の街に出てはきましたが…

とにかく「感染したらクビ!」と脅されながら田舎を飛び出してきたので、都内での行動は自重せざるを得ません。なので東京に来ている実感はゼロ。

コンサートのある時間帯以外は基本的にホテルに籠城することになります。
店での飲食は避けて、コンビニで買ってきた弁当類をホテルの部屋で独り侘しく食します。
そういえば、九段下駅からホテルまでの道すがらに見た某ファミレスはほぼ満席だったよなあ…
ホテルの目の前の台湾料理店では楽しそうに飲めや歌えの宴会をやってたよなあ…

身の回りの必需品や感染対策グッズも地元で買い込んで、東京まで引きずるように抱えて来ています。
3日間の滞在中はホテルの清掃も断っています。
なんならライブ会場近辺の混雑を避けるために、わざと東京ドームから少し離れた九段坂に宿をとっています。

何もそこまで対策しなくても…と笑われるとしても、仕方ないのです。
感染して地元に帰れば、それこそ「犯罪者」みたいな扱いを受けるのですから。笑いものになるほうがまだナンボもマシなのです。

コンサート会場は密の大博覧会

会場やや離れたホテルを選んだのは大正解で、徒歩15分の道のりは効果的に密を避けて移動できました。

しかしながら、会場の東京ドームまでやって来てみるとそこは信じられないような大混雑ぶりでした。まあ分かってはいたけれど、現場で体験してみると「とんでもない」としか形容できないような状況だったのです。

基本的に皆マスクは着用していますが、コンサート入場前でテンションが上がって大声でしゃべくりまくっています。
グッズ売り場やら抽選会場の動線がグチャグチヤに絡まりあって、人の波が衝突しまくっています。
ドーム内に入るゲート前では、チケットに加えてCocoaアプリの確認も必要なために前へなかなか進めません。こんな状況に真っただ中にいると、もはや感染しないで帰れるかどうかますます自信がなくなっていきます。

結構な時間が掛かってようやくドーム内に入れましたが、客席は1つ空きずつとかではなくビッシリとフルキャパ。
この状態で約3時間のコンサート×2日間、もはや運を天に任せるしかないことを悟ったのでした。
東京までやって来て、結局「運ゲー」をやる羽目になるなんてね。

(※コンサート自体は素晴らしい内容だったので、別の機会に改めて振り返ることができたらと思いますが)

帰り着きて、やはり現実

色々な意味で眩暈のするような東京での3泊4日を過ごして、今度は東京から逃れるようにトボトボと地元へ帰ったのでした。
帰りの飛行機の中で、真後ろの座席のご老人が2時間ずっとひどい咳をし続けていたはさすがに精神的に堪えましたが。

直接自宅へ帰ることは憚られたので、地元のホテルに3日ほど滞在して自己隔離をしました。この間に抗原検査を1回、さらにPCR検査を1回受けて、何もなければとりあえずこの町での「人間合格」です。

結論を言いますと、両方の検査とも無事に陰性で、その後帰宅した仕事にも復帰できました。周囲の目は相変わらず冷ややかでしたが。

ただ、こんなことを旅行に行く度に繰り返すとなるとさすがにしんどい!
こんなに気が重くて辛くて泣きたくなるような旅はもう二度とやらないでしょう。楽しかったのはコンサートが行われている時間だけだった、というのが正直なところです。

最後になりますが、地元のホテルからPCR検査場へ歩いて向かう道すがらに通ったとある個人医院の玄関に、
「2週間以内に町外へ出た人は診察お断り!」
のように趣旨のことが張り出されているのを見て、どうしようもない深いため息が出ました。これで一気に現実に引き戻されました。
残念ですが、これが田舎の現実です。

この町はまだこんな状態ですから、私の次の旅はまだまだ随分と先になってしまうことでしょう。
世の中が少しずつ前に進んでも、残念ながら取り残される地域は確実に存在します。
私が暮らしているのは、そんな場所です。

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