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二十と二つ

22歳になった。  

例年、秋分の日が誕生日なのだが、閏年は1日ズレるらしい。彼岸というのは偉大なものであり、今朝、目が覚めたらすっかり秋の空気になっていた。

思い返せば、20歳になってからまともな誕生日を迎えたことがなかった。一昨年は親との拗れが頂点に達し、それまでの人生で最大の修羅場を迎え、昨年は留学先シドニーから、バスで12時間かけ、メルボルンへと移動していた(もっとも、無理して陸路で移動したことが悪いのだが)。

Sydney → Melbourneの車窓(2023.09.23)

今年に関しても、先週まではずいぶん破天荒な生活をしていたのだが、今日は打って変わって平和な1日になった。特に予定もなく、家族とご飯に行き、他愛もない話をしてゆっくり過ごした。10代のうちは1つ歳を重ねるごとに、全く違う一年になるような気がして、毎年階段を上がごとく、抱く期待や目標が変わっていたのだが、20代になってから、人間、1年くらいでは大して変わらないことに気づいた。そのため、別に誕生日を迎えることに対して大して思い入れを持つわけでもなく、なだらかな坂道に目印が1つ付いたくらいにしか思わなくなった。そうは言っても、節目とするにはいい日なので、21歳の振り返りと、22歳の展望くらいはまとめておきたい


この一年はよく旅をした。

21歳初日は、オーストラリア、メルボルンで迎えた。確かこの時は学期の中間休みだったのだが、なんせ悩み事が多く、一人旅でもして頭を冷やしてこようというのが目的であった。ただ一人旅なんて、それまで大してやってこなかったし、海外でやるのは初めてだった。加えて私は生来、無計画に物事を進めるのがたいそう苦手であり、何から何まで不確定要素を潰しておかないと気が済まない性格なので、この様な旅は余計な不安を生むことになるのがオチである。もはや自爆行為のようなことをしつつも、結果としては良好であった。というのも、旅の不確定要素を潰し切ったと思い込んでいた私が、それ自身に見事に圧倒されたからである。要するに、いい旅人に出会ったのである。これを当人に見られるのは恥ずかしいので、見られない事を願うばかりだが、その人は私とは正反対であり、とにかく計画性がなく、万事なる様になれば良いという感じで、当時の自分にしてみれば中々にスパイシーな人であった。ただ、翌日その人に連れられ、予定なく街を歩いて分かったことなのだが、この旅の仕方、意外と楽しい。それからというもの旅が楽しくなった。最近は、昔ほど計画も立てない(とはいっても結構調べる方だが)。飛行機とホテルだけとって、目的地に着き、思うがままの方向に進んでみて、純粋な気持ちで世界を見てみる。その時、見て、触れて、感じた、ありのままのものを、大切にするようになった。

朝日に包まれたMelbourneの街(2023.09.26)

それに、これは旅に限らず、人生全般にも言える気がする。最近になって気づいたこと。それは、ある程度のことは結局なんとかなるということ。もちろん計画や目標を立てて、それに突き進むことで得られるものもあるのだが、なんとなく進んでみてその中で意味を見出すというのも得られるものは同等に大きいし、気まぐれだからこそ、予想もしなかった世界が開けることがある。


人生観についても、よく考えるようになった気がする。年齢で云々言うことは、あまり好きではないのだが、20歳になるまでは、到達点や目標が、割と近くにあって、ちょっと手を伸ばせば取りに行けるような感じがしてが、ここ数年は目指すべき点が、ずーっと遠くへ行ってしまった様な気がする。つまるところ、この年頃なんて皆同様に人生について悩むものであり、大して不思議ではないのだが、目の前に掴むものがない状態はやはり不安であり、不安だからこそ逃げ道を探したくなる。今年も振り返ると、卑怯な逃げ方をしたり、真剣に向き合ったり、なんせ弱い人間なので、彷徨いまくっていた。ただ、一昨年に比べると、少しは彷徨わなくなったのかとは思う。ある程度軸が決まって来て、人生の中で、大切なもの、大切にしたいもの、今足りないもの、が少しずつ明確になってきた気がする。

詭弁かもしれないが、20代のうちなんて、苦労すれば苦労するだけいいと思っている。失敗したって、法に触れなければ大抵許されるし、やはり、何かを成し遂げるだけの気力と胆力がある。今年も忙しい一年にしよう。たくさん挑戦して、たくさん失敗して。ただ、これはいつも心掛けつつも、実践できていないことなのだが、自分の大切な人は悲しませないし、裏切らないようにしたい。

それが、22歳の目標でもある。


2024.09.23 中村拓也

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