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ここではないどこか 

デジタル機器に関わらずに生活することは難しい。

人相手の仕事だと思って医師という職業を選んだのに、電子カルテに向かっている時間の方が長いことがある。そうしたいからそうしてるわけじゃない。そうせざるを得ない社会状況から逃れられないからだ。

この「noteを書くという行為」だって同じようなものだ。

どんなに自然について考えても、肉体やフィジカルの重要性を説いても、読み手と僕をつないでいるのはデジタル生成物である。この矛盾を必ず含んでしまう。

そんな中、最近僕は仁科勝介さんの写真集を手にするようになった。写真の向こうには東京の風景があるのだが、全ての写真が「人間」「自然」を想起させてくれる。

たとえば、缶ジュースの自動販売機、つまり「機械」だけが写った風景の写真でも、そこに生身の人間の生活を見つけてしまうのだ。

「どこで暮らしても」

人は人間と自然の中にいることを気づかせてくれる、そんな写真集だと僕は感じている。


「ここではないどこかがある」と信じられる。

これは希望のひとつのありかただ思う。

写真という紙に焼き付けられた情報は動かない。でもこれからの僕の環境や経験によって、写真から感じることも変わっていくのだろう。それもまた非常に楽しみであり、仁科さんのアートはこれからも僕の生活空間に「共にある」だろう。

仁科さん、素敵な創造をありがとうございます。
勇気と行動、そして心地好さを届けてくれる若き感性に心からのリスペクトを。





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