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#150 精神的な脂肪

僕は東南アジアで生活をしてきて、様々な日本では考えられないような「こちらでの常識」というものと直面してきた。


普通に日本人として捉えると、「異常」だ。

だけど、僕はそう考えてきて失敗をしてしまったから、異常と考える前に一呼吸をして「そういうもんなんだ」と思うようにした。

正直、意味分かんないし受け入れ難いものばかりだ。

細かくひとつ一つ言っていくと文句のようにも聞こえてしまうかもしれないので簡単なものをひとつ例としてあげておく。

例えば、「時間」に対する考え方。日本だと5分前には集合するくらいが当たり前と教わってきた。そんな僕は30分前には現地に着いて、先方さんに気を遣わせないように、そこから少し離れた場所で待機して

到着しているのだけれど、「もう少しで到着します。」的な連絡を入れて相手の様子を伺う。

そして、あたかもちょうど着いたかのように登場をする。

僕にはこれくらいのことしかできない。けど、それくらいのことはできるのだから徹底的にこだわる。それが違いというものになる場合もある。


だけど、東南アジアでは時間は遅れて当然のものという感覚だ。

一応は謝ってくる。でも「ハウアーユー?」くらいの感覚でしか聞こえてこない。

日本でそんな風に育った僕からしたら「ふざけんなよ」となってしまってもおかしくない。だから、一呼吸して「そんなもんだよね」と思っておく。


まあこれは序の口で、話せば止まらないくらいにあり得ないことが日常的に起きている。だからそれは異常じゃなくてここでは普通なんだ。


精神的な脂肪という表現をはじめてきいた。

これがついてしまうと、周りからの助言に耳を傾けることができなくなってしまうと言っている。

僕はどちらかと言うと、日本にいたときに精神的な脂肪だらけだったのではないかと思った。

人の意見なんてどうでもよくて、自分が目指すものがあり、周りの評価なんて気にせず「自分なら出来る」と突っ走っていた。

そして、日本では周りが言っているように成功せず、海外に出ても失敗をした。


けれど、その失敗の過程に向き合えたことが僕の精神的な脂肪を削ぎ落としていったのではないかと思った。


要は、周りの声に耳を傾けるようになった。そして、その声を聞きつつも自分の考えと一緒に共存させることができるようになった気がする。


全てを拒絶するのではなく、

「そういうものもあるんだ」と一度受け取ってみる。

そして、それが今までの自分の経験や持っているものと照らし合わせながら、自分に必要なものなのか、もしくは相手の考えを正してあげるべきなのかと考える。


精神的な脂肪が削ぎ落とされて、身体が健康的なのだと思う。

いろんなものに対して受け入れる準備がしやすい。そして、そう言うものをもっとストイックに吸収していきたいと思っている。


最近、才能というワードについて考えることがある。


才能とは何でしょうか?

ぜひ、皆さんの意見をいただけたらなと思います。

僕なりの「才能」と言う言葉については次回のNoteにて考えていきたいと思います。


本日もありがとうございました!

皆さんも肉体的だけではなく、精神的にも良い状態をつくれるように

人と違うと言うことは悪いことではなくて、その違いを一度受け入れようとするかしないかで成長の幅が変わるかもしれない。

そうすると仮に何か自分の考えとは異なることを言われたとしても、自分に必要だから言ってもらっていると捉えるかもしれない。

僕は自分に足りないことだから言われていると思うようにしています。


サッカーのプレー中では、そんなの言われてもと思うときも

「ああ、それができたらスーパーなのかもしれない。」

東南アジアでは時に高すぎる注文(プレーの要求)を突きつけられるのですが、そう思って受け取っています。

そうする事によって自分の成長の可能性をじぶん自身で潰してしまうことは無くなると思う。

常に学びを止めたくはないですよね。

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