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常識を壊せ|男女の格差

昨晩は月に1度のオンラインでのミーティングに参加した。

サッカーにあらゆる形で携わる方々と意見を交換する貴重な機会だ。

特に海外にいる僕にとっては非常にありがたい機会である。

元々はコロナ禍でスポーツが止まってしまっていた時期に「僕たちに何ができるのだろうか」ということを共に考えるという機会だった。

日本では、スポーツが動き出し皆さんそれぞれに忙しくなってきて、以前のように参加が難しくなっている方もいるのだけど、

忙しいというのは幸せなことでもあるし、

ご活躍されている姿を見られることは個人的にも嬉しいことです。

そんな中でも時間を空けて参加してくださった方々と

「女子サッカー」について話し合った。

参加者には女子サッカーで活躍する選手や指導者に転じて活躍をされている女性の方にも参加をしていただいた。

国内のみではなく、海外に活躍の場を移して挑戦を続けている選手も参加をしてくれた。非常にありがたいです。


話し合いの中では、日本は男女という考え方について世界から遅れているという印象を受けた。

人権や文化、世界と日本との考え方の違いには様々な要因があるということを学んだ。

そんな中、イタリアではすでに男子と女子によって格差があるというのはおかしいのではないかという考え方が浸透しているということを知った。

男子と女子で取り組みに差があるということは、もうチームとしてまずあり得ない話なのではないかという考え方すらあるようだ。


そこで僕が思ったのは、常識を疑い、ときにその常識を壊すことも大切なのではないかと思う。

常識とはいえ、良い常識とまちがった常識があるのではないかと思った。

しかし、普通は常識といえばそれは常識なのだから疑う余地のないことのように扱われる。

同調圧力の強い日本では尚更だろう。

常識に囚われるマジョリティに対して、それを疑うマイノリティはいわば変質者扱いをされ、口を閉ざされる。


だけど、ふとサッカーについて考えたとき

そもそも男子サッカー、女子サッカーと分けてスタートしていないだろうかと思った。

サッカーという大枠の中に男子と女子が分かれているのではなく、

男子サッカーという大枠と、それ以外にあたる女子サッカーというような印象だ。


だから、常識的にいうサッカーは男子サッカーを指している。

この常識こそがおかしいのではないかと僕は思った。

しかし、そういうもんだったからという理由で、そういうものとされている。

それが常識というやつだ。


世界の最先端をいく国々はおそらくサッカーという大枠の中にきっちりと女子も入っている。そして男子と共に並んでいる。


日本はどこか、男子があって女子がそのおまけのような位置付けが常識としてなされていないだろうか。非常に悲しいことだと思う。


僕はその当たり前の中で育ってきた。

もし、逆の立場であったらどうだろうか。


常識というのは誰が決めたのだろう。

僕はサッカーはサッカーなのだから、男女ともに成長し発展していく絵を描けないだろうかと思う。


日本のJリーグでも親子連れのファンの獲得や、女性に優しいスタジアム作りやイベント企画などが行われている。

しかし、多くのクラブでは女子チームを所有していない。

実際にサッカーを愛する女子選手たちが自チームにいることは、女性サッカーファンの悩みを解決するための1番のヒントを与えてくれる存在にもなるのではないか。


男子と女子、その二つが合わさって一つのチームというイメージなのか、それとも男子が一つのチームであり、女子は別物となっているのか。

常識とされてきたことではそうなっているのだろう。

だけど、今こそそこに疑いを持ち、殻を破っていくべきではないだろうか。

サッカーには性別があるのだろうか。
いまはそんな感じがする。

もちろん、プロスポーツとしてはチケット収益やスポンサー収益というのが大半を占める中で

どれだけの人が関心を持ってくれるかというのが大きな要因になるのはわかる。

だからこそ、関心を持つことから始める事が必要なのではないだろうか。

個人的な想いとしては、

サッカーチームというのがあって、その中に男子と女子があるというイメージを持ちたい。

当たり前のようにスタートが男子チームだから女子チームを持つ事が難しい、というのが本音度はないだろうか。

観に来てくれるお客さんの男女比を考えると、やる側になると極端に環境面の配慮が少なくなることは疑問に思う。


そして、僕は男子として当たり前のように環境を好きなように選択してくる事ができた。

それが性別が変わる事で、同じ国の中でも格差が大きく出ているのは悲しい現実だと思った。

スポーツは平等とよく語られるけれど、現実はまだまだそうじゃないよね。

いきなり大きな変化はできなくとも、小さな部分に目を向けて少しずつ変えていくべきだと思う。

それが実は男子サッカーの発展にも繋がると信じている。

スポーツは社会のメッセージを伝えるツールでありフィルターのような存在だと思う。

スポーツを通じてそうした取り組みを企業さんと共にできると新たな視野を持ち、景色が広がるのではないかと思った。

環境が少なくとも、その中で駆け抜けてきた女子選手たちに尊敬と、その経験を伝えてくれることにいま一度感謝です。

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