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12日日記

思えば、本当に人に迷惑をかける人生を行きてきた。
故意にしろ不可抗力にしろ、様々な人達に俺のせいで大変な思いをさせて来てしまった。なので、せめて俺は他人の迷惑には寛容でいたいと思う


俺が入院させられている間、家族は大騒ぎになった。
親父は京王プラザホテルに出入りする業者だ。
万が一自分が感染でもしていたら大変なことになる。
最悪出入り禁止を食らう事になりかねない。
知り合いに抗生物質を処方してもらってなんとか事なきを得たそうだ。

幸い母親や妹にも感染はしていなかったようだが、俺が連れ去られた後、家中を消毒されたらしい。

隔離病棟の部屋には、俺以外に2人入院していた。
1人は大学生で、1人は社会人のおじさんだった。
おじさんの方は、社内旅行で感染したと行ってた。
「まぁ、仕事しないで入院してられるんだから良いよなぁ」
と言っていた。おじさんてのは随分呑気なものだと思った。

もう1人の大学生は、爽やかで優しい感じの人だったが、変な癖があった。
普通に喋ってるときに「さっ」と言う言葉が入るのだ。
「俺はさ、もう2週間位前からさっ、ここに入院しててさ、さっもういい加減外に出たいよ。退屈でさ」
てな具合だ。「さ」と言う言葉が助詞のために、最初は気づかなかったが、どうも本人もほぼ無意識で「さっ」と言ってしまっている様だった。
今で言うチック症の類かもしれないが、この時は変な癖のある人だなとしか思わなかった。それ以外は本当に普通の好青年だった。

隔離病棟だから当然面会など気軽にできない。お袋が数回、親父が1回来てくれたが、部屋に入る前に完全防護した状態で入らなければならなかった。
今でこそ、消毒だの防護服だのは見慣れてはいるが、この頃は消毒は注射の前か怪我したとき位で、防護服なんてパニック映画でしか見た事がなかった。改めて自分がとんでもない事になっているんだと思い知らされた。

親父はコンビニでマンガだのお菓子だのを手当たり次第に買い込んで、大袋に2つくらい入れて持ってきてくれた。
次第に症状も軽くなり、たまに血液の固まり方を調べるとかで、耳たぶを切られたりしているうちに、いよいよ始業式が迫ってきた。

今となっては有難いような話だが、当時は携帯がない。当然ネットもないから、まだクラスには俺が赤痢になったと広まっていない筈だった。
最初に電話した保には、もちろん誰にも言うなと口止めしてあった。
もともと無口な奴がペラペラしゃべるはずもない。
だが、初日に便所に籠ったり、旅行中も具合が悪かったりしていたから怪しんでる奴らもいるだろう。だからこそ、絶対に始業式には間に合わなくてはならない。しかしながら病院もそんな都合で患者を開放することはできないだろう。感染症にかかった患者なのだから。

そしていよいよ退院の日が決まった。なんと始業式当日にだ。
病身側も多少配慮してくれたかどうかはわからないが、ギリギリ間に合うことができた。朝、親父に車で迎えに来てもらい、急いで帰宅して、着替えて学校に向かった。親父が迎えに来てくれたのは生涯でこれが最後になった。

何食わぬ顔で行くと、やはり話題は赤痢の事だった。それ以外にも大量にサルモネラ菌などの症状に罹った生徒が出たらしい。
赤痢には俺以外にもう1人罹っていた。面識はないが、そいつは名前がバレてしまっていた。気の毒な事だ。
俺も怪しまれたが、普通に始業式に間に合っているし、俺も否定したのでバレずに済んだ。これだけは本当に良かったと思う。
SNSがある今なら絶対にバレていただろう。
幸福な事はあまり起きないが、不幸中の幸いには何度も助けられた。

こうして俺は推定無罪で3年生になる事ができた。


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