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夢と家族を天秤に掛ける

 夢と家族を天秤に掛けるとどうなるだろう。キャリアと家族を天秤に掛けるとどうなるだろう。流石に家族の命が掛かれば、天秤は家族に傾くだろうか。

 では「家族一緒に暮らすこと」と夢やキャリアを天秤に掛けるとどうなるのだろう。天秤はゆらゆらと悩ましく揺れながら、時に夢やキャリアに傾きはしないだろうか。長年抱き続けた夢、長年積み上げてきたキャリアならなおさらではないだろうか。

 そして、家族の中にそのようなものがふたつあるとどうなるだろう。例えば僕の夢と妻のキャリアだ。僕は僕の夢を選び、妻は妻のキャリアを選び、今現在、僕だけが家族を離れ、別々に暮らしている。僕の夢と妻のキャリアとの間で家族は引き裂かれてしまっている。

 僕には二人の娘がいる。時差があるので、顔を見ながら電話ができる機会は週末に一度あるかないかだ。3歳になった二女は言葉を急速に覚え始めた可愛い盛り。それを毎日浴びることができないのは正直悔しい。

 僕が僕の夢を選んで単身アメリカに渡ったことは僕の選択だが、僕から見れば、家族を東京にピンしているのは妻のキャリアだ。そして妻から見れば、僕をロサンゼルスに連れ去ったのは僕の夢だろう。僕は時々妻のキャリアが恨めしい。同じように妻は時々僕の夢が恨めしいだろう。

 家族が皆それぞれに何かを持ち、その都合が一致しないとき、何かと何かを天秤に掛け、妥協案を見出すことになる。

 例えば夫婦の職場の土地が一致しなくて、結果的に別々に暮らすことを選択する家族は珍しくない。僕の周りの友人を考えてみても、ざっと両手で足りないくらいはすぐ名前が挙がる。中には、期間限定ではなく、現状終わりが見えない別居をしている家族もある。

 一方、夫より高いキャリアや収入を持ちながら、それを捨てて夫の赴任先についていく妻もいる。なぜそのような選択をするのか。妻という古いステレオタイプに縛られているのか、キャリアや収入に執着がないのか、シンプルに夫と離れたくないのか、夫の希望を渋々受け入れたのか、新しい世界への好奇心が勝るのか、子供のためを思ってか。

 ある企業の執行役員にまで上り詰めた同い年の女性に「もし夫の夢が叶って、夫がアメリカに行くことになったらどうする?」と聞いてみたことがある。彼女はバリバリのキャリアウーマンであると同時に、一児の母でもある。総合的な判断をせねばならない。彼女はこう答えた。

「悩むけど、私はついて行くと思う。夢をサポートすることと家族の幸せの両立を一番に考えるから。家族は一緒にいた方がいい。でも今の私の立場だったら、会社と社員に迷惑かけることは間違いない。だから夫の仕事内容がしょうもなかったりしたら嫌になるかも笑」

 いろんな人がいて、いろんな事情があって、いろんな価値観がある。家族が何かを天秤にかけるとき、家族で見出す妥協案に普遍的な正解などなく、家族によって選択はさまざまだろう。

 僕は今、東京に向かう飛行機の中にいる。3ヶ月ぶりに家族に会うため、長めのサンクスギビング休暇を取った。僕にとって人生のターニングポイントとなったNASA就職。その最初の3ヶ月をどうにか切り抜けての、初めての一時帰国だ。

 この3ヶ月、仕事や生活のセットアップは人の助けを借りながら何とかなった。しかし、家族のいない生活は、孤独だった。時に病的でもあった。この静寂は、耳を澄ますとかえって心がざわざわする。だから僕は目を背ける。僕の単身赴任は今に始まったことではないから、哀しいかな僕は自分を麻痺させる術を身に付けている。

 3ヶ月前、不安と期待を胸にひとり機内でこう書いたことを思い出す。

「今僕は遷音速で太平洋を横切っている。片道切符。行き先はNASAだ。ついに夢が叶うのだ。最初の10年漠然と心に抱き、次の10年本気で思い続けた、この夢が叶うのだ。夫になり、父になった僕が、しばらくの間、再び少年へ戻り、自分のためだけに息をする時間を取り戻すのだ。」

 そのときの自分と、今太平洋上空ですれ違ってみて、この3ヶ月は夢だったんじゃないかという気分になった。日常だったものが非日常に、非日常だったものが日常になる。日常と非日常が日付変更線で慌ただしく入れ替わると、僕は僕の心をいったいどこに置けばいいのだろう。

 そして、東京に着き娘たちと再会したとき、きっと僕は笑顔の裏でこう思うのだ。

「どっちが夢なんだろう」



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