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待つを止め利他で関わり動き始めるプロジェクト

挑戦を支える全国各地の皆様に光を当てるSupporter Interview。今回のインタビュー対象は教育の分野に特化したクリエイティブ事業を手掛けつつ宮崎に移住された梅原 卓也さん。スタートアップのコミュニティ作りやサーフィンをテーマにしたクラフトビール醸造に関わる想いと背景ついて伺いました。


── 梅原さんの現在のご活躍をお聞かせください。

東京千代田区九段下にある株式会社グラブデザインという会社の代表を務めています。25歳の時に起業したので、気付けば今年で22期目に突入です。


── 当時の起業のきっかけについて聞かせていただけますか?

起業前は、携帯電話のプログラマーをしていたんです。偶然にもグラフィックデザイナーの方と出会って「HP製作の仕事をしたいから手伝ってよ」とお誘いを受けてスタートしました。事業ピボットを繰り返して、今では見る影もありません(笑)


── そんな梅原さんが宮崎に移住された背景を教えていただけますか?

実はコロナがきっかけなんです。オンラインでの仕事が当たり前になったので、家族から「宮崎に住めば?」と提案を受けて移住しました。


── どんなポイントで移住先を選ばれました?

テレワークが出来る環境があること、空港が街から10分で東京へ通いやすいこと、割安なマンションがあること、サーフィンが出来ること、美味しいものがあること、ですね(笑)特にサーフィンは気に入っていて、宮崎の青島でジョギング感覚で出来ちゃうんです。これまでは千葉まで片道1.5時間かけていたんですが(笑)

ジョギング感覚で楽しめる宮崎青島のサーフィン


── そんなサーフィン好きの梅原さんが、どうしてクラフトビールに関わるようになったのですか?

2021年に移住してから1年ぐらい経った時、知り合いがサーフィン友達1人と奥様の友達しかいないことに気づきました。自分は「宮崎に何をしに来たんだろう」って。じゃー「地元の宮崎の人のために役に立とう」と思い始めました。そこで探していたところ、東京の方が宮崎のクラフトビールに出資するという話を聞いたので、まずはビール瓶のデザインをやるよ・・・と突撃したんです(笑)


── そこから梅原さんのビール人生が幕を開けたと。

いえ、宮崎の方との交流はなかなか始まりませんでした(笑)「あんたはどうせ中途半端に関わって、取っ散らかして東京に帰るんでしょ」って感じでした。もちろん面と向かっては言われてないですが、最初はそんな空気を感じていました。


── その壁はどうやって突破されました?

もうひたすら利他に徹しました。ビール工場での洗い物を手伝ったり、ビンのデザインをサポートしたり、ビールと全く関係ない地元のお祭りに関わったりと、とにかく泥臭くなんでもやりました。そうしていると、一緒にやろうじゃないかと少しずつ認められて、クラフトビールに深く関わっていくようになったんです。結果として今では、サーフィン後に飲むクラフトビール「サーフビール」のマーケティングにもデザインにも製造にも携わるようにもなりました。

サーフビール醸造に深く関わるようになった梅原さん


── 心躍るストーリーをありがとうございます。そんな梅原さんがStartupWeekend(以下SW)を宮崎で開催しようと中本に声を掛けたのはどういった背景があったのでしょうか?

少し失礼な物言いかもしれませんが、宮崎のイベントについてなにか物足りなさを感じていました。もちろん近しいイベントはありましたが、アイデアを作ってみようとか、起業を考えてみようとか。けれども、足を運んでみると「あれ?誰も本気じゃない?コレ誰得?」と思っちゃったんですよね。そこで東京でコーチとして体験したSWを宮崎に呼び寄せようと考えたんです。真剣に命を削るような機会を宮崎のみんなに体験してもらいたいなって(笑)

梅原さんがコーチとして参加されたSW東京(2015年開催)


── 命を削る機会を宮崎に。その想いから準備を始められてみて、如何でしたか?

いやぁ、宮崎でのSWの知名度の低さに苦戦しました(笑)都市部だとスタートアップを志す人が一歩を踏み出す場としてかなりメジャーなイベントです。けれども宮崎だと誰もお申込みをしてくれない(笑)タクトさんから「人が集まらないから中止かも」と言われる始末です。


── 集客はどうやって改善されました?

MRT宮崎放送の社長に掛け合ったりとか、ひなた宮崎経済新聞の編集長に相談をしたり、宮崎県の商工課へ声をかけたりと、もう出来ることをなんでもやりました(笑)宮崎市内にあるコワーキングにチラシを配りまくるのも欠かさず(笑)


── 無事に閉幕を迎えた今、どんな気持ちをお持ちでしょうか?

長野県軽井沢からやってきたインターナショナルスクールISAKの高校生たち、特に源太郎くんのコミュニケーション能力に圧倒された週末でした。本当はコーチでSW宮崎を支える筈だったのに、彼の情熱に負けて彼がリーダーのチームにジョインし、3時間のコーチングが一気に3日間の地獄を体験するプレイヤーをしてしまったほどに(笑)

源太郎くんに口説かれ地獄を経験するプレイヤー側へ


── どの部分に圧倒されました?

高校生の源太郎くんの熱意とブレないコメントです。「誰もが気軽に自宅でクラフトビールを作れる世界」を実現したい!と彼がピッチで宣言してからというもの、コーチにどれだけ顧客の課題設定が甘いとかソリューションが課題設定に沿ってないとか詰められても、成し遂げたいことを曲げなかったんですね。どうすれば理想に辿り着けるかだけを見据えて進んでいく、その肝の据わった生き様に魅せられました。


── プレイヤーとして場に関わることで、梅原さんは他に何を感じ取られました?

死に物狂いにならないと、物事は前に進まない、という感覚を思い出しました。高校生がリーダーとしてクラフトビールの理想を掲げて突き進む中で、起業経験もあってクラフトビールに関わっている自分としては「ごめん。俺できない・・・。」なんて言えなかったんです。だからこそ胃が痛くなりながらもヒントを必死に探しました。3日目の朝、偶然にも見つけたビールバーが主催するクラフトビール醸造体験会に朝8時に突撃して参加することにしました。(笑)

SW宮崎の最終日に朝8時から突撃参加したクラフトビール醸造体験会


── 行動あるのみですね。

そうです。チームメンバーも体験会に参加するとイメージが湧いてきて、コンセプトも綺麗に整理できて、資料の作り方までクリアに見えてきたんですね。どれだけ自分が頭の中だけの世界で物事を捉えていたのかも分かりましたし、やっぱり足を運ぶことの大事さを改めて実感しました。


── そんなご経験をされた梅原さんにとって、アイデアをカタチにする際の大事なものはなんでしょうか?

「実践で行動して確かめる」ということに尽きると思うんです。


── もう少し深掘りしてお伝えいただけますか?

作ってみて評価をしてもらって、初めて形になる。例えばクラフトビールも作ってみて世にいきなり出すんじゃなくて、試供品を配って生の声を集めることが欠かせません。もちろん届く声は、かなりの辛辣で「アサヒビールと何が違うの?」「価格が高くて手が出ない」みたいなものもあったりするんですが、リアルな声に勝るものはない。自分たちが作っているものは凄いんだ、というところから実践を通じて抜け出さなきゃいけないんです。

試供品を配って生の声を集め、改善を重ねる梅原さん


── アイデアをカタチにする際は思い込みから脱することが大切。それでは逆に源太郎くんのような挑戦者を支える場を作る際は何を心掛けるべきと思われますか?

一つ目は、参加の垣根を低くすることだと考えています。心理的安全性ですね。あなたは挑戦して大丈夫ですよ、誰でも簡単にビジネスを始められるんですよ、という安心感を与えていく。どんなタイミングでも、誰もが起業家になることが出来るんだと理解していただく、そんなイメージです。


── 垣根を下げるには何が必要でしょうか?

小さな体験を届けることだと思っています。タクトさんがプレイベントで「痛みからビジネスを生み出すには?」って簡単なレクチャーとワークをしてくれたじゃないですか?そういった小さな疑問に触れ、問いに向き合うことで「私に起業って合ってるかも?」と気付き始めるんだと思うんです。

小さな疑問に触れ、問いに向き合うことから垣根を下げる


── 簡単かも?と錯覚させるのがファシリテーターのお仕事です(笑)他には如何でしょうか?

二つ目は、期限を切ることだと思うんです。例えば自分の夢を語って、それをどうやって実現するか?を通信教育でやろうとか学校で教えてもらおう。と通い始めると、学校を卒業するまでの時間が長すぎて、途中で登校をやめちゃったり、目先のやることだけに目が行ったり、熱量が冷めていくことがあると思います。そして、行動も失われていく。だからこそ切羽詰まった状況に追い込まれることが大事なんです。やったことない仕事をまずは受けちゃうとか。週末だけで起業しちゃうとか。そんな実体験がまずは必要かと思います。

期限を切って週末だけで起業を求められたSW宮崎


── 挑戦者が集う場に必要な要素をお伝えくださりありがとうございます。梅原さんのように地方に足を運んで挑戦したい方にアドバイスをいただけますか?

続きは下記よりお読みください。


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