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編集者としての心構え──君のいまがより良くなるように。

読んで、楽しい、嬉しい、ワクワクする。編集という仕事をするうえで、心からそう思えるものをつくるって、言うは易く、行うはむずかしい。

周りには「編集好き!」と言って、パパっと進めてしっかり赤入れや提案し、原稿を進化させる人がいるから、なおさら、さて僕はどうしたもんじゃろのお〜と、手元にあるノートに筆をはしらせたりする。

だれかの原稿に赤字を入れることに、ものすごくエネルギーを使う。書き手やその周辺にいる人たちに嫌われるかもしれないと恐れたり、腹落ちさせないまま、「いいと思います!」とか、言ってしまったりすることもあった。本当にこだわるとなると、とにかく面倒くさくて大変だから、こだわることから逃げていた節もある。量産を目指していた時期は過去となった。

納得できるものをつくろうと心に旗を掲げてからも、悩む時はある。そのたびに吉野源三郎という編集者の心構えを見返している。

『職業としての編集者』から引用しよう。職を問わず、働くことの参考になるかもしれない。

民衆のためになることなら、牛のように首をたれて黙々とそれに仕え、人からなんと見られようが、心にかけない、という心構えは、編集という仕事を──本当に意味のあるものとしての仕事を──やってゆく上に、何よりも必要な心構えだと思います。自分というものを世間に認めさせたいと考えたり、著者やその他まわりの人々によく思われようとしたり、あるいは世間に媚びたりしたら、本当の仕事はできませんね。世の中に送り出した本や雑誌が、実際に社会に役立つこと、どんなに回り道を通ってではあっても、無名の民衆の仕合せに役立つこと、それだけ果たせればそれでよいのだという心持を、しっかり持ち続けることが必要です。それをどんなに堅く持ちつづけたって、思うほど役に立つ仕事ができるか、どうか、危ういのです。

人からどう思われても、それはそれ。まずは自分が思うことを真っすぐ見て、信じてやってみなさいと、勇気をくれる。僕にとってそんな言葉だ。

だから、今日の仕事が昨日より良くなるように、恐れず率直に問うていきたい。もちろん自分にも。

「これは本当に読みたい記事になっていますか?」
「理想形にするにはどうすればいいですか?」
「編集者として、自信をもって世に公開できますか?」

僕はそんな仕事をしたい。

君のいまがより良くなるように。
父さんは今日も願っています。


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「眉を横たえて冷やかに対す千人の眼、首を俯して甘んじて孺子の牛となる」

この言葉は中国の作家魯迅の詞で、「千人、万人の人からなんと見られようが、そんなことには、冷然として心を動かさない。子どものためには、甘んじて首をたれ、それを背に乗せて黙々としてゆく」という意味で、この孺子とは中国の民衆をさしているだと、毛沢東は解釈しているそう。

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