がっかりコロナ

「嫌われる勇気」もそうだが、「がっかりされる勇気」を持った方がいい。

他人に失望される覚悟を持っていた方が生きやすい。

「認められないと全部駄目」みたいな考えになりそうになる。そして奈落の底へと落っこちそうになる。

この「がっかりされる勇気」はクリエイターでたる自分に言い聞かせるための言葉だけど、「がっかりされる勇気」が無くなると、誰しも何かしらの歪みが生じると思うのだ。

しかしがっかりされた、失望されたということは、一度はその誰かを期待でワクワクさせたってことなのだ。

もうそれで十分ではなかろうか。

今回はがっかりさせてしまったけど、十年後に見直してもらえるように、反省してやり直せばいいのだ。

僕は「君にはがっかりしたよ」という言葉を何度も貰って大人になった。

思い返してもあの言葉の破壊力は凄まじい。一気に人格を否定された気になるし、打ち砕かれる。

それゆえに「がっかりされること」に耐性があると強度がずいぶんと増す。

人間をやっていくということは、他人をがっかりさせることから逃げないということだ。

シャブで捕まったシンガーやアスリート、芸能人。中止になってしまったイベント。就いたと思いきや即辞めた仕事。

がっかりするひとが必ずいる。でもそれは一度期待されたからなのだ。

それにがっかりされたから何だというのだ。失望上等である。

別にがっかりした人々に好かれるために生きているわけではない。痛恨のダメージでもなんでもない。

むしろがっかりされることにさえ耐えられるならば、何だってできるしどこにだって行ける。

「失敗」はいくつかのファクターで成り立っている。

「損をする」とか「見損なわれる」とか「身の危険がある」とか「時間が減る」とか「今の位置に戻れなくなる」とかで「失敗」は出来ている。

このうち「見損なわれる」はどれほど占めているのだろうか。案外半数以上ではないだろうか。

コロナのせいで連日がっかりが溢れているが、「別にがっかりされてもいいや」と思えれば言うことも変わってくるのかもしれない。

保身はいつだって男をスベらせる。明日は我が身である。


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