イジメの事件

台風に備えて、車を頑強な車庫に移したりしていた。

#台風だけど出社させた企業
というタグがトレンドになっていた。弊社は全休にさせたが、出社が嫌ならば辞めるかサボるのがベストだ。行きたければ台風だろうがなんだろうが出社すればいいと思う。あくまでその行動を選んだのは自分のはずだ。

それにしても災害というのは、本能が反応するのだろうか。やけに体調が悪い。近くに人間がいると妙に安らぐのは、これまた社会的動物である本能なのだろうか。

北半球と雲が繋がっているなんて、見てるだけで怖い。

やはりDNAに組み込まれた業にはなかなか抗えない。

最近話題のイジメとかもそうだろう。

地元である須磨の学校で起きた騒動なので、恥ずかしい。なんだか全国の皆さんに肩身が狭い気持ちである。

しかし神戸というのは、やたらと学校にまつわるイカレた事件が起きる。高塚高校の校門圧死事件や酒鬼薔薇など、インパクトが強いだけだろうか。

今回の事件内容は「教師が教師をイジメた」というものだ。字面にすると、なんともアホっぽい。

「教師がイジメだなんて!」と怒っているひとも多いが、それは教師に期待しすぎだ。「教師が優れている」というのは幻想に過ぎない。

考えてみてほしい。

スティーブ・ジョブズのような革命家や、孫正義のような勉強熱心な男、イチローや矢沢、藤原基央、羽生善治のような天才が「教師」を職業として選ぶだろうか。

もう少しグレードを落として、あなたの身の回りにいる「才覚のある男」が果たして「教師」になるだろうか。

凄い料理人、マネジメント能力の高い上司、めちゃくちゃに話の面白い同僚。普通に考えて、彼らは民間の競争の中で勝利する道を選ぶはずだ。むしろ「教師」を選んだひとたちが「優れたひとたち」という論拠はかなり脆いのだ。

就活に破れ、保険でとっといた「教職の資格」を使ったひと、もしくは「教育学部を出たから」という、これまた「教職の資格」を使ったひとが多いのではないだろうか。
環境を変えることに、強いストレスを感じるタイプも多そうである。なんせ彼らの「二十代の過ごし方」における選択は「学校からの学校」という進路である。とにかく変化が大嫌いなのだ。

だからだろうか。DNAに組み込まれた業に抗えないような人間が就いている職というイメージがある。偏見だろうか。

もちろん「イジメをする教師」なんて少数派だろうが、反対に氷山の一角とも言える。

ちなみにイジメが起こるシステムは、専門家らによって解明されている。

「閉鎖的な空間に人間を密集させると、人は人をいじめるようになる」のだ。
これはビッグデータもある科学的事実であり、逆にこの環境をクリアすれば、イジメをしないで済む。

子どもでも社会人でも、断絶された精神的密閉空間に閉じこめれば同じだ(学校や職場が閉鎖環境だと思っている、今回の加害者たちはそもそも視野が狭すぎるのだが)

閉鎖環境は民法刑法の存在すら薄くさせる。「暗黙のルール」なんてものの方が、憲法よりも強いように錯覚してしまう。

じつは学校生活というのは、子どもたちにとって凄まじいストレスだ。「同じ年代に生まれたというだけの他人同士を、集団生活をさせる」という行為は、生物学的に異常なのだろう。 文化人類学的にもワークしたケースは極めて少ない。

さらに「授業」という個人の能力差を無視した集団学習に強制参加させられ、刑務所のような集団摂食と『班』などのグループ分け、掃除などの労働を強いられる。

これぐらい高ストレスがかかる環境に人間を放り込むと、人間は何かしらの優劣や序列を大義とし、自らを「看守役」と「囚人役」に分ける。

今回の事件に関しても、会社などでのイジメに関してもシステムは同じだろう。閉鎖レベルと強要性が高い環境に放り込めば、大人でもイジメを起こすのだ。

だけど、大人なのだ。

子どもと違って、大人はいくらでも好きに生きていける。「好きなことだけで生きていく」が可能かは分からないが、「好きに生きる」ぐらいはできる。少なくとも「気に入らないところを捨てる」ぐらいは絶対にできる。

スタンフォード監獄実験のような環境下に置かれれば、誰しも狂うし、怪物化するのだ。

だからこそ「辞めちまえる」というのは大事だと思う。

今回の事件もさっさと辞めちまえば良かったのだ。加害者も被害者もだ。

加害者はイジメなんてやらないと、過ごせないほどのストレスがかかっているのならば、退職すべきだった。
被害者なんて、とにかく一刻も早く辞めれば良かったのだ。

「なんでやられた方が辞めなきゃいけんのだ!」という意見もあるだろう。しかしそんなケチがついた場所なんて無価値だ。早く捨てた方がいい。価値が無いから辞めるのだ。それでいい。

「辞める」っていうのは、内側の世界を飛び出て、外の世界とつながるということと同義だ。

イジメなんて一般社会、外の世界ではそもそも発生しようがない。ファミマの店員にいきなりイジメられはしないだろう。
イジメは閉鎖空間だからこそ起きる特殊なコミュニケーションだ。

「出れないコミュニティ」なんてこの世には無い。ここは社会主義国でも共産主義国でもないのだ。

バンドは解散できるし、夫婦は別れられるし、親子は縁が切れるし、その気になれば性別だって転換できる。

僕は学校も終身雇用も、イマの世の中にはいらないと思っている。というより「行きたいひとやそうしたいひとだけそうすればいいんじゃない?」と思う。

旧態依然のそれらは、ネットやスマホが無かったから仕方なく使ってきたツールだ。

もはや協調性が無くても楽しく生きていけるし、集団生活ができなくても僕たちはやっていける。四、五人で年商十億の会社を作ることができる時代だ。

仲良くしたいひとと、仲良くして、行きたいところに行くのはそんなに難しくない。

ちょっとの勇気だけだ。こんなにローリスクハイリターンなことは無い。

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