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少ないのもわりと好き、ということがある

「若いうちは色々やった方がいい」という言葉があるが果たしてどうなのだろうか。年をとるといろいろできなくなるからもったいないという話なのだとは思うが。

自分の人生で考えるとどうだろう。たとえば「年をとってできなくなったこと」は増えたのだろうか。

CanもCan'tもまぁ増えた気がする。可能なことも増えたが不可能なことも増えた。となると「年をとって、できなくなってしまうこと」がそれなりにあるのは事実みたいだ。

朝まで飲めなくなった。というより本気を出せばやれるのかもしれないが、本気を出すに見合う価値がないことはいよいよ分かってきた。

そしてこういう話を若者はよくよく知っている。「もう少し若ければ」としり込みする老人を数多く目撃しているからだ。

そのせいで「こんなことできるのは今のうちだ」と思ってしまう。「俺もいつかは衰える」と。だからできる限りの無茶をする。

「長生きはしたいが老いたくない」という大いなる矛盾の中で僕たちはみんな息をしている。

同様に後輩や子どもの成長を願うけれど、いつまでも未熟で可愛いままでいてほしいとも思っている。

ずっと子どもと暮らしたいが、自分の親と同居は嫌だと言い出す。推してるバンドが売れ出すと寂しいと言い出す。その上、売れなくなったら「落ち目だ!」とため息をつく。その上で解散したら「もっと観たかった」などと言う。

「矛盾している」というか、要するに人間は「虫のいい」生き物なのだろう。

「結婚はしたいが拘束はされたくない」というひともいる。「ならば自分の好きな生き方を選んでいこう」というひとが増えている。もう昭和ではないのだ。男女問わず独りで生きていくことがおかしいことでもなくなった。

「絶対誰かと結ばれよ」という拘束感や閉塞感から開放的になるのは悪くないと思う。

僕だって自由を制限されるのは死ぬほど嫌いだ。とにかく気ままでいたい。そんな気まま族が認められやすい今の世の流れは僕にとっても喜ばしいことが多い。

そうなるとすぐに少子化が問題視されるが、実際そこまで悪いことなのだろうか(良い悪いではなく、その傾向は止められないのだが)

「高度経済成長からの人口爆発を経て、数十年後に少子化を迎えた先進国」なんて、まだこの地球上に存在した試しがない。何気にこれからの日本が初めてのモデルケースなのだ。「子ども少ないからって何だよガマンしろよ日本」じゃダメなのだろうか。

今現在、凄まじい勢いで稼ぎ倒して、生み倒して、建て倒しているのがアラブや中国、インドなどだ。

かつての日本のように生き急いでいる。そのパワーは落ち着くと、やがて人口ピラミッドは少子化になっていくだろう。

そのときの先駆モデルに日本がなれれば、これ幸いではないか。政治家の先生方にはぜひとも「税収のウィークポイントが浮き彫りになることなどなんのその」と言ってほしいものだ。

それに個人的にも人口が多すぎると苦しい。今だって十分多すぎる。環境破壊も遅くなるし、平和にもなるんじゃないだろうか。考え方一つで少子化も悪いことばかりでもない。

「人数が減ったら寂しいやんけ」と言うひとも居そうだ。まぁそうかもしれないが、僕は寂しいのも大好きなのである。そういうやつもいる。

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