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神頼みするときにやっちゃいけないこと!

三年ほど前にお参りをした。本当に珍しいのだが、した。

新宿の神様が祀られている花園神社だった。

手を叩いて、手を合わせ、目を瞑る。

「ちゃんとやるので、側にいる人たちも、遠くで見てくれている人も、健康でいられますように」ということを祈った。

目を開けた後に、ある考えがよぎった。

「お願いだから助けて下さい」と祈らなかったな、と思ったのだ。自分でも自然と祈らなかった。

初めてだった。

僕はいつも神社に行くと、「なんの苦労もなくうまくいきますように」とばかり祈っていた。

神を信じているとか、信じていないとかいう話ではない。どちらかと言えば、全然信じていない。

だけど「せっかく祈るなら」という貧乏くさい動機から、自分の利益を願っていた。5円払ったんだから、その分得したいという根性だ。

その腐った根性が、自然となくなっていたなぁと思ったのだった。

『自分のこと』は、自分で変えていける、と実感した出来事だった。

『自分のこと』は『どうしようもないこと』ではないということだ。

自分を変えたり、自分をコントロールしたり、自分を征服したり、自分を奮い立たしたり、自分を諦めたりは可能だ。I can doだ。

では、『どうしようもないこと』はなんだろうか。

自分の力では動かせないことだ。

これは、きっと『誰かの無事』だ。

遠く離れているひとが、元気でいられるように。もちろん、近くにいるひとも元気でいられるように。

願うが、残念ながらどうしようもない。

僕たちは他人を変えたり、他人をコントロールしたり、他人を征服したり、他人を奮い立たせたり、他人を諦めさせたりできない。

洗脳や支配、命令、アメ、ムチなどあるが、本質的には何ひとつ動かせられない。

どうしようもないことこそ、他者のことこそ神に祈るに限る。

『射幸心』いう言葉がある。

「思いがけない利益や幸運を望む心」という意味をもつ言葉だ。

これを持っていると、マズイことになる。

基本的には【日々の行いや積み重ね=現実】だ。

これに則りつつ、進めるのが一番人生が豊かになる。

ボクシングにラッキーパンチは無い。

偶然当たったパンチでも、それは練習で何千回と振ってきた拳だ。だから相手は倒れる。

面接を受けるから、バイトに受かる。バイトをするから、給料が貰える。給料が貰えるから、オニギリが買える。買うから、オニギリを食べれる。

子どもでも分かる法則だ。

だけど、かつての僕は分からなかった。

面接を受けずに、オニギリを食べようとしていた気がする。

実力と関係のないところでパーンと"飛び級"して、人生が大逆転し、奇跡が降ってくることを期待していた。

「好きな言葉は全自動」と言い出しそうだった。

日々がうまくいかないことを、見えない何かのせいと他人のせいにして、溺れていた。そして現実を丸投げしていた。

思い返すと、自分が超絶嫌いになるから、花園神社に封印してほしくなる。

そんな自分でも、少しは射幸心を手放せたような気がした。そんなことを確かめられた出来事だった。

そういえば、ひどく寒い日だった。境内で叩いた掌がポケットの中で、じんわりと温かかった。

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