生きていくコツはお金よりも「話の合わないもの」をどう遠ざけるか
選んできた。生きるのは選ぶことの連続だった。
ランチメニューなら何を選んでもいいが、選び間違えちゃいけないのは人間関係だ。
僕は一つの基準として「話が合わない」という慣用句を使ってきた。
これは「条件面が合わない」などといったビジネスライクな感覚でもない。もっと根幹的なものが集約されている。
結局、バンド・コンビ・恋人・友人・職場などでの相性というのは「話が合うか合わないか」のことを指しているのだ。
以前、Xに「嫌いなひととバンドしちゃいかん」と幼児のような主張を書いたらなぜか「そうっすよね!」みたいなDMがよく来た。そんなに共感を得るとは思わなかった。
話が合わないひととずーっと時を過ごしていると、だんだんと人間関係は傷み、腐り、やがて「嫌い」になるのかもしれない。
思えば僕は嫌いなやつとバンドを続けてきた経験がない。これは話が合わなくなったら、さっさと別れているからではないかと思ったのだ。
散り散りになったメンバーたちを思い出すとやはり「話が合わなくなった」からだ。きっと色んなことが起きて相性が破綻したのだ。でも寂しさは鳴るけれど、後悔はない。ムリに一緒にいて、嫌いになるよりずっといい。
それぐらい話の合わない人間とは、あまり一緒に時間を過ごすべきではないと思っている。
こんなふうに書くと「いろんな意見を聞かないと成長しないよ!」などと矢が飛んできそうだけど「あっちいけ!人間関係を通して成長しようなどとは思っていない!」と返すつもりだ。
人生が減ってきて、子どもの頃より時間が経つのが本当に早くなった。
時間は思っているより少ない。「命が有限だ!」というより、「タイミング」が少ないのだ。
たとえば僕は30代のバンドマンだけど、もう20代のバンド活動ができない。20代のバンドマンでいられる時間ってどれぐらいあったのだろう。10年過ごしたのに、本当に満喫?できたのは、もっと短かった。
二日酔いの時間がもったいなかった。安い時給でバイトしていた日のせいで音楽が作れなかった。将来のことなんかでうんうん悩んでいる時間はムダだった。
20代のバンド活動でしかできないことが山ほどあったのだ。もっともっとやれることがあった。
これは「あれもこれももうできない…」と感じているからだ。
30代の表現活動は20代では無理なのだ。
30代になり、自主でテレビに出たり、CD1万枚無料で配ったり、小説を出したり、映画にしたり、そこでまた仕事をつないだり、会社もやったり、専門学校とか関わったり…といったアクションを起こしてきた。
これは「20代のバンドマン」には不可能だ。でもたぶん40代のバンドマンにも不可能なのかもしれない。わからない…
僕は20代の頃の価値観とは異なる新たな活動をしてきたわけなのだが、つまりこういった新たな価値観と話が合うひとと一緒に過ごすようになった。
それは20代の頃、話が合っていたひとたちと別れたということでもある。別れなくては新しいことができなかった。これまでのひととは話が合わないからだ。
話が合わないのに一緒に過ごそうとムリをすると、必ず誰かがムカつき始める。
面白いことに「話が合わないひとたち」というのは徹底的に合わないからだ。なぜか「ちょっとだけ合わない」というケースが少ない。マジで全然合わない。
そういや先日、面接で「起業するのってあぶなくないんすか?」と聞かれた。わからない…儲からなかったらお金とかあぶなくはなるだろう。
だけど嫌いな人間、話の合わない人間との関係が皆無になるメリットがある。これは極限にメンタルが安定する。生きていくコツは、お金よりも「話の合わないもの」をどう選んで遠ざけるかだと思うのだ。
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