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いつか奇跡が降る!

いよいよこの世に向いていない。だがいつか奇跡が降るはず、と信じている。

とにかく電信柱から次の電信柱に移動できるよう工夫を凝らしている。うつな日々を豊かにするのは工夫だ。向き不向きよりも工夫のはずだ。

電信柱に寄りかかっていると、思い出すのは西成の人々だ。

「にしなり」と読む。
大阪の地名だが、ご存知だろうか。地元のひとはまず近づかない危うい場所だ。

関西人は幼い頃から「暴動が起きるヤバイとこ」という教えを大人に叩き込まれたので必要以上に怯えている。

僕も近づかないようにしていたのだが、五年ほど前の大阪遠征時、「安いとこ頼む」とスタッフに伝えていたら予約をとられてしまい、一泊千円ほどのドヤに泊まることがあった。

「え、西成か!?なんでやねん」と目の玉が飛び出たが、ここは責めるのも筋違いだ。「安いとこ頼む」と言ったのは僕なのだから。

しかし泊まってみると、意外にも快適そのものだった。

カプセルホテルのような集団生活感もなく、清潔感もある。部屋が狭いぐらいで何も問題はない。

飲みに歩けばそれなりに「ヤバ」くて、それはそれで面白かった。

一度行ったきりハマってしまい、大阪在住のタイミングでは無理して西成に泊まるようになった。

ちなみに電信柱から電信柱に移動できなくなった自分の話だが、西成の住民も近いものがある。

彼らは基本的に社会生活が成り立っていない。

基本アル中ばかりだし、酒の弱いやつはシャブ中になる。だいたいが冬を越えられない。
仕事も生活保護の不正受給のポン引きなどロクなものではない。

だが僕たち関西人が恐れていたような暴力性は無い。というより、おおむね無気力なのだ。

おそらく電信柱から電信柱へと歩くその距離が、彼らの精一杯だろう。気合いが無さすぎて、これだけで消耗しきってしまうのだ。

そして電信柱ごとに立ち飲み屋が待ち構えている。彼らは二百円をカウンターに叩きつけて、日本酒をあおる。
二、三秒で飲み終えたと思うや、すぐに外に出るのだ。次の電信柱を目がけて。

僕も金が無いのには慣れっこだが、あそこまで無いと本当に大変だ。

西成には落ちている小銭を求めて何キロも歩いたり、自販機をひっくり返して集める輩もいる。新刊の漫画を売り飛ばしてプチ富豪になっているやつもいた。

笑える話だが、あれらの熱量をまともな仕事に向けたら生活費ぐらいは稼げそうなものだが、それをやったら終わりなのだろう。

貧乏はもちろんキツイ。

「嗚呼、あと五百円あれば・・・!」と嘆いた夜が何度もある。

その五百円玉一つさえあれば、かったるい身と心を明日の岸まで辿りつかせることができる。

五百円玉の持てる金銭的交換力が解決してくれるのはもちろん、犯罪をするか地ベタで寝るか、どちらを選ぶかのふんぎりを五百円玉の表裏に委ねてもいい。

右へ行くのか、左へ行くのか、それも五百円玉が決めてくれる。

深夜の梅田の交差点でイルミネーションの赤や青に照らされながら、呆然と立ち尽くし、そんなことばかり考えていた。

僕たちは信号が青になったら歩き出さないといけない。

信号が青なのに、足を動かさないのは頭のおかしい人間の行動だ。

しかし青なのに足がどうしても前に出ないのだ。










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