中二病と言われまくった
何かを批判するためだけの言葉というものがある。
中二病、ダサイ、意識高い系、KY、ブス、馬鹿、米津玄師のニセモノ。
その言葉が知れ渡っていると「当てはまるもの」は強烈な批判の対象になる。
だけどそれらの言葉が生まれるまでは、さほど批判の対象でなかったと思うのだ。
それらは「当てはまるから」という理由で、阻害され、踏まれ、撃沈される。
中二病なんて言葉が無ければ、己の世界観にもっともっと浸れたひとたちはいるんじゃなかろうか。
その批判言葉がチラついて思うように行動できないのはつらい。内角攻められすぎて、外角に手が出しにくくなったスラッガーのようだ。
心理学に「リマレンス」という言葉がある。
相手のことで頭がいっぱいになってしまって、一挙手一投足にドギマギしてしまう状態だ。
リマレンスとは、いわゆる"恋わずらい"に極めて近い状態なのだろう。
この言葉がなぜ今まで、食い潰されなかったのかが、不思議で仕方ない。
女子中高生に荒らされそうなワードランキング1位なのだけど、残留している。
「◯◯先輩完全にウチのハートにリマってきてるしー!」
と言ったところだろうか。終いには、ハマっている趣味やら、心に根差している悩みも、リマレンスの亜種化しそうである。
一度荒らされた言葉は世代を超えて浸透する。
ひとは、考えていることを喋っているのではなく、喋れることだけを考えているところがある。
僕たちの頭の中は、知っていることだけで埋め尽くされている、ということだ。
対極する知識や経験が豊富であるほど、脳内の宇宙は広くなる。
やはり知識や経験は積むと視野が広くなるのだ。副作用に「頭でっかち」なる症状がある。これは「常識の真逆」を知識、経験として蓄えていると軽減できる。
「人を殺しちゃダメ!ダメったらダメ!」という人物がいる。これはまさしく「頭でっかち」である。
「殺さないといけなかった」または「殺したほうがよかった」というケースの知識や経験を備えていないから起きるわけだ。備えていれば「人それぞれの事情」というところまで意識が及ぶ。
いろんなスラングがあるけれど、しょせん知れ渡らないと使えない。しかしインターネットができて以来、「知れ渡るまで」がとても早くなった。
言葉は記号だし、何かを表す上で極めて効果的なショートカットウェポンだ。でも、ときにその便利さは他者を傷つける。
中でも批判言葉は便利なつくりになっている。
それ一撃で、概要を捉えて本質を射抜いて、息の根すら止められるチカラを持つ。
便利な言葉を使うとき、立ち止まりたい。
僕たち男は話の通じない女と話していると「馬鹿なブス」で一蹴したくなる。
しかしもっと立ち止まるべきなのだ。
論理や単語はしっかり相互的に機能しているのか、客観性は顕在しているのかを突き詰めたほうがいい。
僕自身、「喋れることだけで、構成されているひと」になるのがじつに嫌なのだ。
「うまく言葉にならないようなこと」を表現していたいからこそ余計である。
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