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私がコロナ渦の中・開業・行動した話。

こんにちは。
高知県でパーソナルトレーニングジムを運営している塩田です。
2020年4月地元、高知県にジムを開業しました。

今回は私の今までの人生を簡単に振り返りながら、同世代の方々・今何かを夢中で取り組んでいる方の、何かのきっかけになれば良いなと思い、そして自分自身の振り返りとして書いていきます。

【簡単な自己紹介】
社会人3年目でパーソナルトレーニングジムを創業(2021年度はテナント拡大の予定)
高知(高校まで)→東京(専門学校)→静岡(就職)→高知(ジムを創業)
ざっくり経歴を辿るとこんな感じになります。

2020年4月 ジムオープンと同時にコロナが日本中で拡散し、「緊急事態宣言」が発令され、当たり前ですが、OPENして約2ヶ月はお客様は0でした。
創業してすぐ家賃が垂れ流し状態になり、スタートダッシュとしては本当に最悪の状況でした。
精神的にも、追い込まれました。外面は平然を装い、内面では「やばい」「運悪すぎ」「今年で潰れる」と考えていました。

このノートでは、開業までの私の過去に簡単に触れながら、2020年激動の1年を皆様にお伝えさせていただければと思います。

🔻目次
1997年 5月誕生
2003年 いの小学校に入学
2009年 伊野中学校に入学
2013年 高知市立高知商業高等学校に入学
2016年 東京スポーツ・レクリエーション専門学校入学
2018年 トレーナー会社 就職
2019年 12月会社を退職
2020年 1月高知に帰省
2020年 2月「社長」との出会い
2020年 4月 パーソナルトレーニングジムをOPEN
2020年 4月〜5月末までは会員様0名
2020年 6月〜12月までの激動の半年間
2021年 来年度のプラン・宣言​

1997年 5月誕生

高知県高知市にて生誕。元気に生まれたらしいです。小さい時は、とにかく外に遊ぶことが好きで、球技や遊具などで遊んでばっかりの生活を繰り返していたと母から聞いています。

2003年 いの小学校に入学

生まれは、高知市内ですが、祖父母が住んでいる田舎の『いの町』に引越しをしました。なので小学校に入学した時は「友達」はいませんでしたね。
この年頃で、知り合いがいない環境に身を置くのは、少し寂しいですよね(笑)

性格は、誰とでもコミュニケーションがとれ、どちらかと言えば「うるさい」分類の子供でしたかね。私が思う人生の分岐点の一つとして、小学校2年生の時に、地元のサッカーチームに誘われたことです⚽️
確か、当時虫を捕まえていた私に、友人とその母親が誘ってくれました。
元々、運動はできる方だったので、すぐにサッカーにのめりこみ、ボールを追いかける日々がスタートしました。
小学校の頃には、高知県選抜とかもちゃっかり入りながら、田舎では一目置かれる選手だったとは思います。

2009年 伊野中学校に入学

地元の中学校に入学し、サッカーは街クラブに入部しました。
この頃に出会った友人たちは、すごく居心地のいい奴ばかりで、今でも交流がある友人が多いです。とても楽しかった思い出があります。
サッカーの方は、早太りの影響もあり、パワー・スピード共に、県ではトップクラスだった気がします(笑)成長が早いと、中学までは無双できますからね。この頃は四国選抜の選考会とかも行ってました。
夢はまだ「サッカー選手でした」(笑)

性格としては、いじられキャラで、毎日のようにワイワイしながら学校生活を楽しんでいました。
勉強は全然、してませんでしたので成績はかなり悪かったです。

2013年 高知市立高知商業高等学校に入学

成績は悪かったですが、「サッカーの特待生」ですかね、スポーツ科に入れてもらえました。
高知県では、伝統のある高知商業高校。ここで学んだことは今でもすごく活きています。
サッカーもそこそこのレベルでやりながら、チームとしては何度か全国にも出場出来ました。同じベクトルを向いてチームとして活動していける団体スポーツは今振り返ると、本当に魅力的ですね!
将来、子供が生まれたらスポーツはさせたいですね。

学生生活では、安定のいじられキャラで、ですがその甲斐もあって誰とでも基本的には話していました。
交友関係も多かった方だとは思います。この頃の自分は、先頭に立って人を動かしたり、指示を出したりするタイプではなかったですが、3年生の時の体育祭で、応援団長にノリで任命され、周りからは「塩田」じゃ絶対務まらないと(旗持ちの木偶の坊に)散々言われました(笑)
確かに、1つの色で約100名程はいたと思うので、マネジメント能力なんかない私は、当時は悩んでいました。

結果的には、「応援賞」獲得。100人をまとめれました。この経験が私にとって一皮むけれた経験になりました。
こう考えると、学校教育(イベント)の中で、人は成長するんだなと思いました。
ちなみに、当時の友人から言われるんですが、塩田はお馬鹿キャラと言われますが、冗談ぬきに「演じていた」要素も実は多かったです。
人として当たり前ですが、嫌われるより好かれたいと思いますから、この時は「いじられキャラ」を徹底することで、中立的な立場を確保しようとゆう思いが当時からありました。
ですから、わざとアホなことを言ったり、マインドセットは「いじられキャラ」にしていたりと結構その辺も意識しながら高校生活を過ごしてましたし、自分の立ち位置を作っていました。
なので・・意外と自分器用なんです(笑)

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2016年 東京スポーツ・レクリエーション専門学校入学

高校最後の大会で右膝の前十字靭帯を断裂してしまい、その頃からスポーツトレーナーとして将来は働きたいと考えていましたので、東京に上京しました。(高知にある理学療法の学校を指定校で合格してましたが最後の最後で辞退して)学校に呼ばれ泣かされました。これ実話です(笑)

専門学校の活動は、とにかく楽しかったです。全国各地から同じ志を持った学生が集まってきますし、講師は日本代表のトレーナー陣がうじゃうじゃいますからね。最高の環境だと思います。

この頃からですかね。高知県でジムをオープンして高知県のアスリートや一般の方々をトレーナーとして支えていきたいと抱いたのは・・
トレーナー科で将来の夢を発表する際も、よく「高知」「高知」と連呼していたので、同期は絶対覚えていると思います。
クラスTシャツが「高知」になったこともありました(笑)

学校生活としても、安定のいじられキャラで攻めていき、ある日私のお尻が大きい。と弄られそこからクラスに馴染めてきました。勿論高知出身の子はそんなに居ないですからね。入学当初は、毎日行き帰りも寂しく帰り、昼飯も1人で食べてるぐらいでしたから(笑)

ですが、この頃に出会ったメンバーとは現在でもSNSで通じています。
全国、世界でトレーナーをしている同期もいたりして、みんな凄いな〜負けてられんな〜ていつもインスタを開くと思います。
四国とかには、トレーナーの育成機関はないので、オススメは「東京」「大阪」あたりの大学、専門がいいと思います。
トップのトレーナーの思考や、最先端の施設を自身で経験出来る環境に身を置くべきです。
※もう一つ大事なのが、自分の周りの友人は、自分より志が高い方や学ぶ意欲のある方で固めることです。
そうすれば自ずと自身のスキルも上がってきます。その逆の友人ばっかりつるんでいると・・・分かりますよね?高い授業料を払ってる訳ですから、貪欲に講師陣に聞くこと、周りのメンバーにも気をかけること。
上記は、私ができていなかった事でもあります。だから今こう言えます。
※当時、仲が良かったメンバーみんな大好きですからね?(笑)

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2018年 静岡にある小さなトレーナー会社に就職

社長が日本でも有名なトレーナーでした。
事業内容としては、パーソナルストレッチを始め、トレーニング指導、グルプレッスンと幅広くサポートしていました。
私は学生時代にこの方の講義を受けたことがあり、その際に名刺を交換していたので、そこから勉強させて欲しいと私の方から連絡をし、見学→就職の運びとなりました。
ですが、ここから地獄の日々が始まりました。
この方の、腕は本当に日本トップクラスだと思いますし、実績も素晴らしいのですが、人間性に関しては私は好きではなかったです。
今回は長くなるので、下記に箇条書きで出来事を簡単に話します。


①毎日のようにお客様の前で罵声を浴びせられる
②お客様に逆に励まされる
③就職しても早期に退職する人がほとんど
④会食は地獄(自分の存在はないかのような振る舞い)
⑤契約書にお前に教えるとは書いてない(知りたいなら聞いてこい)
※だが、関係性が構築出来ていないので、聞けない。
⑥人格否定される(家族のことを)
※勤務した2年間で泣いた回数は「6回」程
⑦日常会話は皆無
※自分から工夫して話そうとしても無視されることもある
⑧毎日怯えながら出勤(これは他の従業員も同じ)
⑨とにかく昭和スタイル(20〜30代のトレーナー大っ嫌い)
※自身の価値観を押し付けすぎ
⑩お前の給料は私が稼いだ中から出てるんだよ。お前は何もしていない。
※それは分かってるし、そのために努力してるんやと心の中では言いました

勿論、社長がおっしゃることの半分以上は、私のことを思って言って頂いてることも認識はしていますが・・

上記の出来事がある度に、本当に自信を無くして、やる気が削ぎ落とされ、鬱みたいな状態にまでなりました。
自分もスポーツをしていた人間なので、「見返してやる」「社長を認めさせる」などの思いは持ちながらやってましたが・・
流石に我慢の限界でした。そしてこの環境は、技術的な部分の成長はあっても仕事をするにあたって、楽しく働けないと感じたので、2019年12月に退職しました。
このあたりに同期も退職をし、現在は少ないメンバーでやっている様です。

この2年間で学んだことは、世の中には本当に色んな方がいること。
嫌いな上司ぐらい皆さんも1人や2人はいると思います。
その環境で学びたいと思えば、そこで働けばいいし、嫌だと思ったら『逃げればいい』逃げていいんです。
人間関係を大事にしていれば、必ず助けてくれる人はいます。
自分の高知に帰ってきて沢山の方に助けてもらいましたから。

2020年 1月 高知に帰省

退職をして高知に帰ってきました。
ちなみにこの時は、就職先・開業も出来るか全く分からない状況でした。
この計画性のなさは、だめですね。
ただ内心では、絶対開業する。とだけは心の中で決めてました!

2020年 2月 社長との出会い

開業資金には、少なくとも500万は必要でした。
銀行が融資してくれるか分からない状況でしたが、テナントだけは決めておこうと考えていたので、探してました。
1つだけ、自分がいいと思った場所があったため建築士さんに内装の見積もりをお願いする運びになったのですが・・
この時に、お会いしたのが現在のテナントのオーナー様です。
高校時代の同級生の親父さんが建築会社を経営していると聞いた自分は、高校時代仲良くしていた友人に、話を通してくれない?とお願いしました。

そのような流れで当日になりました。
社長に見積もりをとってもらいながら、「なぜ開業するの?」どんな思いで開業するのかをお話させてもらいました。

次の瞬間でした。
『今日この後空いている?』の一言。
私は空いています。と返し、そうすると今うちの事務所の上の階が空いてるから見に来ない?と言われました。
そしてそのまま検討していたテナントを後にし、社長がお持ちのビルに向かいました。
案内して頂いたテナントは、高知市内の真ん中のあたりで、立地としては申し分ない場所でした。

すると
社長が『ここでやれば?』と
駐車場もあるし、ジムとしては結構広いんじゃない?
しかも家賃も先ほどの内見した家賃で良いよと言って頂けました。
(要は安くしてくれると言ってもらえました)
私は言われたその場で、前向きに検討させてください。と伝えさせていただき、その後テナントはそこにしました。
下記が当ジムの内装です。駐車場3台・パーソナルジムにしては広めです。

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この社長との出会いなければ、恐らくジムは開業出来ていません。
この社長と繋いでくれた「友人」「そして社長の息子の同級生」には心から感謝してます。
なので現在、私が運営出来ているのは、私の力だけではなく、沢山の方に支えられながら活動が出来ています。
この感謝は絶対に忘れてはいけません。
ですが・・この様な運びになった最大の分岐点としては、私が「ジムを開業」しようと『行動』に移して『言葉』として伝えたから実現しました。
自分の強みの一つに「とにかく行動」してみる。今後もこの行動力。挑戦し続ける姿勢は変えません。

※最近社長から、22歳で地元を盛り上げようとしてる若者を応援したいから。塩田を応援したいから声をかけたんだよ。と伝えられました。
出会いに感謝です。

開業するにあたって「銀行融資」「事業計画書」「大事にしておくべき事柄」など私がお伝え出来る範囲であれば、是非ご質問ください。

2020年4月 パーソナルトレーニングジム Favor OPEN!!!

よし!これから頑張ろうと思った矢先でした・・
4月【緊急事態宣言】発令。
ちょっと運が悪すぎて、笑いそうになりました(笑)

2020年 4月〜5月末まではお客様0人 

開業してすぐは、多少のキャッシュ(現金)の余裕は残してスタートするのですが、約2ヶ月間も「家賃」が垂れ流しになるのは、痛いです。
しかも、コロナが今後更に拡大した場合、お客様がジムに来店したくても出来ない状況になってしまいます。
今だから言えるんですが、半年間程、緊急事態宣言などが続いていれば、お客様0人のまま廃業になっていたと思います。

幸い、高知県は6月からはコロナも収束したので、私としては助かりました。
ちなみにこの時に、中小企業や個人事業主に助成金があったと思うのですが、4月開業にはなんの支援もありませんでした。
絶望ですよね・・OPENしてすぐなんか不安の塊みたいな面持ちでスタートするのに、こんな状況だと余計にメンタルやられました。

2020年 6月〜12月の激動の半年間

高知では6月ぐらいからコロナウイルスが収束してきました。当ジムも少しずつですが、一般の会員様やトップアスリートのお客様も当ジムでトレーニングを実施しています。
4〜5月の頃は毎日ジムには行くんですが、10時〜22時までの営業時間中は、事務作業や自身のスキルアップの時間に充ててましたが、最近はセッションを多くやらせて頂いており、非常に充実した日々を送らせて頂いています。

簡単にですが・・今年の振り返りをしてきました。
時系列で見ると、面白いですよね。自身の感情や想いから行動に移すことに成功し、行動・言動をしたことによって、沢山の方にご協力していただき、家族や友人などからも励ましのお言葉を多く頂きました。

決して慢心してはいけません。どんだけ上手く事業が進んでいようが、売上が上がっていようが、全ては当ジムを利用して頂いている会員様にしっかり還元すること。応援して頂いている方へ恩返しすること。
自分が大事にしている方々を支えていくためにも、更に成長していかなければなりません。

そのためにも、今後は自身のスキルアップはもちろんですが、高知を更に熱く盛り上げていくために、大きなアクション・そして小さな積み重ねをしていきたいと思います。
下記の写真は当ジム初めての卒業生・会員様との2ショットです(現在も継続してトレーニングにお越し頂いています)

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2021年 来年度のプラン・アクション宣言

2021年度は下記の項目の展開・事業を考えています。

①テナント拡大(スタジオの増設)(3・4階)
②正社員雇用 1名
③グループレッスン事業
④パーソナルトレーニング事業
⑤スポーツチームサポート事業
⑥地域の体操教室事業

コロナウイルスの影響で制限の多い1年間になりましたが、2021年度はまた安心して運動や飲食が行えることを祈りたいと思います。

今年度は、本当に楽しかったです。そして辛いことや不安になることも多かったです。
実際に挑戦して、失敗ばかりの1年になりましたけど、失敗することによって人は成長していける。次へのアクションが明確になる。行動にうつして初めて現実が動く。Favorとしても・私としても挑戦し続けます。

そしてその挑戦が出来ることは、多くの方に支えて頂いている事を忘れないようにしたいと思います。

2020年の詳細については、あまりにも量が多いので、また別のnoteや機会で作成してみたいと思います。

長文、最後までご覧頂き、ありがとうございました。
来年度のスタッフとの写真でサヨナラします!応援よろしくお願いいたします。

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パーソナルトレーニングジム Favor
代表:塩田拓実

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