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アフリカの日々

ここに来てから、何日が経っただろう。

ここに来てから、
たくさんのことを教えてもらった。

星があんなにもきれいなこと。
空があんなにも広いこと。
その下を、見たことのない鳥が
美しく飛び交っていること。

もう少し下を見れば、儚い幸せの中で
日々を生きている人たちがいること。

自分が今まで生きてきた世界とは
別の軸の上に存在しているかのような
僕のアフリカの日々は、
もしかしたら日本にいたら
決して交わることの
ないものなのかもしれない。

もしそうであったとしても、
これから自分がどんな道を歩もうと
僕がここで会った人たち、経験を忘れずに
歳を重ねていきたい。

ここで過ごした日々は、正直に言えば
本当に辛かった。孤独と戦い続けた。
自分の故郷が遠のいていくのが
わかる気がした。

皮肉にも電波は通じるから、
いつものように開くインスタグラムが、
ツイッターが、今、自分のいるところの
心の距離の、物理的な距離の遠さを
教えてくれているみたいだった。

でも不思議と、
帰りたいとはあまり思わなかった。

ときどき自分は一体
何をしているんだろうと思った。
何のためにわざわざ
こんな遠いところまで来て、
何のために島中動き回って、
何のために自分が過ごせたであろう友達との
楽しい時間を犠牲にして、
何のためにバイトして
貯めたお金を犠牲にして。

一歩外に出れば差別の声に晒される。
何度チンチョンチャンと呼ばれ
嫌な思いをしたかわからない。

ここで一日を過ごすことは、
日本で過ごす一日と
比べ物にならないほど疲れる。
おかげで幾度か体を壊した。

病院に向かう朦朧とした意識の中でも、
相変わらず子どもたちは
ムズング、ムズングと叫んで寄ってくる。
その時の僕にとってそれは
僕を人扱いしないことの
現れのようなものだった。

「俺に何をしてほしいんだ。
一体何なんだよ。」

そう呟いて、追いかけてくる
子どもたちを振り返って
ものすごく冷たい目で
睨みつけたことがある。
子どもたちは一瞬たじろいだけれど、
僕が無意識的に手を差し出すと
僕の話す言葉のわからない彼らは
笑顔で握手をして去っていった。

自分は最低な奴だと思った。
あんな子ども相手に、
僕はどんな目を向けていただろう。

病気のせいで鉛のように重い体が、
もっと重く感じた。

こんなことは、何度もあった。

その度、自分が嫌いになった。

何度も何度も、クラウドファンディングを
やるべきかやらないか自問自答した。
頼れる人は誰もそばにいない。
自分で考えて、自分で答えを出すしかない。

うまくやれる自信なんて正直、なかった。
もらったお金分の成果を出せる自信も。
そもそも集まるかどうかだって怪しい。
新車一台買える値段だ。

すごく怖かった。不安だった。
一人で真っ暗な道を
延々と歩き続けている気分だった。

毎日ひたすらパソコンと向き合って。
ケビンと話合って。
バイクに乗って未舗装の道を走り回って。

まともに働いた経験なんて一つもないのに。
まだ大学卒業すらしてもいないのに。
150万なんて大金、見たことすらないのに。
HIVなんて、来る前には保健の授業で
聞きかじったことくらいしかなかったのに。

でも、

小生意気にも、
この人を応援したいと思った。
ケビンを。

帰りたくなかったのは、そのせいだ。
まだ帰るわけにはいかない。
もう意地だった。
どれだけ寂しくても、辛くても、
失敗しても、怖くても、
みじめでも、体壊しても、最後まで。

と思い続けていたら、最後の日が来た。

僕は今日、日本に帰る。
5ヶ月も過ごしたケニアに別れを告げる。
たくさんのことを教えてもらったこの国に。

帰ったら少しだけ休みたい。
こんな僕でも、会ってくれる友達と
僕がケニアで見たインスタの中の景色に、
僕も少しだけ、その中に入って休みたい。

いま、ぼくは、出国のスタンプをもらって
飛行機の搭乗を待っている。
もう何度も経験したことなのに、
なんだか特別に感じてしまう。

思い返せば辛いことばかりだったけど、
バイタクで風を切りながら
眺める自然が僕を癒やしてくれた。
ここには僕を癒やしてくれるものが
たくさんあった。

ビクトリア湖を挟んで連なる山々。
朝焼けのにおい。
頭に荷物を載せて運ぶ人々。
干した魚の匂い。
生まれて初めて見る蛍。
夜、いつも飛んで
どこかに向かっていく飛行機の音。
きれいな星空。

どれも、日本では味わえない
宝物だった。

僕のアフリカの、
ムファンガノの日々は、
ひとまずこれで、おしまいです。

ばいばい。

ありがとう。

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