見出し画像

僕はコロナにありがとうと言う

友人の卒業式が昨日あった。もともと、静岡に自転車を置き忘れていた僕はそれを東京に持って帰ってきてUber Eatsでも始めようかなと考えていた。それに、2年ぶりくらいに再会する友人もいたので、久しぶりに会いたくて静岡に行った。

久しぶりに仲の良かった人たちで集まって、写真を撮って、くだらないことを話し合って、笑った。大学にいたときは、これが僕の日常だった。そんな日常が大好きだった。

朝4時近くに起きて、バスに乗って向かって、16時には帰りの電車に乗っていた。友人にお勧めしてもらった村上春樹のスプートニクの恋人を読みながら、久しぶりに会った友人たちとの別れを惜しみながら、楽しかった大学生活を振り返りながら、帰りの電車に乗る。

最近、一人になると不安と後悔が押し寄せてくる。なぜ今よく考えもせずに東京に来てしまったんだろう。なぜあのとき、ちゃんと身分証を持ってこなかったか確認しなかったんだろう。母親にたくさん迷惑をかけたな。どうして相談しなかったんだろう。

これから就活はどうなるんだろう。ちゃんと採用されるか。向こう見ずで来たから明らかに周りよりは遅いスタートだし、ケニアの方も同時並行で進めなきゃいけない。ついこの間、コロナの影響で突然ケニア全体の学校が閉鎖された。これからどうする。どうしたらいい。バングラデシュにはいけるだろうか。今のところ、アライバルビザは発給停止、入国にもテストを受けた証明書が必要だ。

自分ができることだけに集中しよう。手洗いをして、マスクをして、うがいして、他のことは考えないようにしよう。でも、ケニアにはケビンがいて、アフリカにもついにコロナがやってきた。嫌でも調べないといけない。どうする。やることはたくさんある。どうしよう。

本を読むはずが、文字を上から下に目線でなぞるだけの作業になってしまう。心臓の鼓動が早くなって、不安が押し寄せて、胸が苦しくなるのがわかる。

ハッとして顔をあげる。そりゃ、あちこちいろんなところに忘れ物するわけだ。こんな風でいつまでもいたら。

思えば僕は、いつもこんな感じだったかもしれない。コロナが僕をこうしたのではなくて、僕はもともと、こう言う人間で、遅かれ早かれこうなる予定だったのではないかと思う。いつから、いつからだろう。こんな風になってしまったのは。

「話を聞いていて、たくみくんの軸がはっきり見えてこない」

そう、この間進路相談をしていて言われたことを思い出す。いつまでも誰かのため、誰かのためと、目標をそこに設定していろいろとやってきた。自分の軸はそこにあるはずだった。

でも、これを耳にした瞬間に思ってしまった。僕は、自分をどこに置いてきたのだろう。僕の幸せは、どこにあるのだろう。

大学に行って、友達とくだらない話をして笑うのが好きだった。一緒に飲み会に行って話をするのが好きだった。地元に帰って、久しぶりの友達と会うのが好きだった。昔付き合ってた彼女と、一緒にゆっくり過ごす時間が好きだった。

自分の家族に、実家に帰って久しぶりに親と、妹と会うのが好きだった。おばあちゃんの家に行って、世界から離されたようなゆっくりとした空間で久しぶりに話をするのが好きだった。

僕の幸せはここにあったのだと、卒業式で気づいた。

来年の今頃、もらえるであろう学位より大切な物をもらった気分だった。

僕はいつの間にか、自分のやりたいことだけやって、自分の大切な人を傷つけてしまっていたと思う。母親に、父親に、どれほど心配かけただろう。トルコにいく時も、ケニアに行く時も、僕は親にすら、彼女にすら、何も言わなかった。自分で自分の幸せを蔑ろにして、誰かを幸せにしようとしていた。

でも、とうとうそれにも限界がきた。
手元に一つもない身分証がそれを物語っていた。

この短期間で、いろんな人にたくさん迷惑をかけた。それに伴って、これまで親に、友人に、大切な人たちを、無意識のまま傷つけていた。あれほど誰かのためにと一生懸命に頑張ってきたのに、結局僕は、自分の周りの大切な人を蔑ろにしてしまっていたのだと気づいた。

パソコンを叩いていてやたらと不安になることばかりだった。心臓は嫌なペースで鳴る。どうして僕は今東京にきてしまったんだろうという後悔。就活もほとんどWebだし、世界各地で国境閉鎖が相次いで、これからますます状況は厳しくなるだろうな…バイトも出来るのだろうか。そんなことをずっと思い詰めていた。

そんな中で僕は無意識に母親に電話をかけていて、でも全部を吐き出せるほど器用じゃないから、思い詰めていて、精神的にちょっとまずいかもしれないとやんわり伝えた。まだ来てから1週間と経ってないのに、「もう帰っておいで。少しやすみなさい」と、優しく告げられた。正直ちょっと泣いた。

僕は今まで母親にどれだけ心配かけただろう。今までずっと気づかなかった。どれだけ、周りの人を心配させただろう。どれだけ、身近な大事な人たちを大事にできなかっただろう。

考えなしにとりあえず動くのが自分のいいところだと思っていた。でも、それがいいところになるのは、自分の大切な人たちを、自分の幸せを大切にできた時だと、母親の声を聞いて気づいた。

人生には無駄なことなんて何一つないと思う。これは、東京に、静岡に来なければきっと気づかなかったことだ。もし、このままずっと気づかずに無理をして体でも壊してしまったら、僕はもっと、自分の大切な人を傷つけてしまっていたと思う。

そして、それを教えてくれたのはコロナだ。そんなことこんな時に言うなんてと思うかもしれないけど、それでも、僕はコロナにありがとうと言う。僕に大切なことを教えてくれてありがとうと。手遅れになる前に教えてくれてありがとうと。

たくさん身を粉にして働く人たちを見てきた。真面目な僕は、それが正解なんだと思ってきたし、それがカッコいいとも思った。だけど、ケニアでの日々を否定するようで少し悲しいけれど、僕は自分を、自分の大切な人たちを無下するような生き方はしたくない。

少し落ち着こう。焦ってもいいことなんてないから。もう一度、自分を支えてくれた人たちをしっかり見つめ直そう。そんな気持ちで、クラファンを支援してくれた人たちにありがとうのメールを、今日全員分送り終えた。

きっとこの人たちも、僕が無茶をして体を壊してまでプロジェクトを進めて欲しいなんて思っていないはずだ。きっとケビンも。

甘えと言われればそうなのかもしれない。でも、僕はもうこれ以上、大事な人たちを傷つけたくない。

「自分の周りを幸せにできない奴に遠くの誰かを幸せにする資格なんてない」

と以前何かで目にしたことがある。その時僕はその言葉をスルーしたけど、今は大事に大事に、一文字一文字その言葉を噛み砕いている。

それが出来るのもコロナのおかげだと、どれだけ世の中が混乱していようとも、僕は立ち止まって落ち着いて、ありがとうと言う。

サポート代金は取材のための移動費・活動費に充てさせて頂きます!少しでも僕の記事がもっと読みたい!と思ったら、サポートしていただけると嬉しいです!