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何も考えずにアメリカ留学しようとした話

以前のnoteにも書いたが、社会人になって最初の数年間は何をやっても上手くいかず、暗闇の中を走り続けるような生活だった。何をしても駄目な時期というのは人生において数回あるようで、その時の僕は付き合っていた彼女に振られ、仕事でも全然思うような成果を出せず、人間関係にも苦しみ、テレビからふと流れた東京ガスのコマーシャルにつられて爆泣きするような、情緒不安定な日々を過ごしていた。

ちなみに今見ても泣けるこのCM。最高。

仕事が嫌だ。でも辞めてもやりたいことが無い。資格もスキルも無い。何にも無い。若手社員あるあるのような日常を過ごす中、ある日、会社の制度で海外MBAへの社費留学制度があることを知った。

これや。今の環境を抜けるにはこれしかない。やりたいことを見つけるために大学院留学しよう。しかも会社のお金で大学院にいけるなんて最高やん。というか海外MBAってそもそも何なんだ?と、調べるうちに、アメリカの大学院に留学することに興味を持ち始めた。2010年当時、世の中ではちきりんブログが流行り始めていたころだと思う。

こんなどうしようもない自分を変えるには、とにかく大きな環境の変化が必要だ!思い切って受験勉強して、社費留学に応募しよう!そのためには、大学院とやらを見てみないと!と、たいして実態も知らないのに勢いそのまま、社会人2年目のゴールデンウイークにキャンパスビジットを目的として、人生初のアメリカ・ニューヨークへ向かうことにしたのだった。つくづく、大して考えもしないのに行動だけは早いな、と思う。

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ラガーディア空港到着直後。地下鉄でストリートダンサーの子供が目の前に来て、びびって撮影。ぶれぶれ。

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一泊15ドルで泊まったぼろホステルの中庭。北斗の拳のような場所だった。

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まだ再建中のワールドトレードセンター。iPhone 3GSにしては綺麗。

その7年後、まさか自分が駐在という形でニューヨークに住むことになるとは思いもしなかったのだが、結局これが現地を初めて訪れた経験だった。土地勘のなかった当時の僕は、今思えば相当危険なことをしていた。Queensの奥にある、Jamaicaというエリアにあった一泊15ドルのぼろぼろのユースホステルに泊まり、レンタサイクルを借りては日本の習慣のまま、カギをしないまま路肩に駐輪し(10分で盗まれて、レンタルサイクルショップに300ドル弁償した)、夜は缶ビールを飲みながら街を歩いたりしていた。(米国では絶対やってはいけません。)本当にありえない。。

さて、キャンパスビジットというからには大学を回らないといけない。僕は事前に人のツテを頼りに頼って、ニューヨーク大学、ニューヨーク市立大学、コロンビア大学、ボストンのハーバード大学、MITなど、合格できるかに関わらず、様々な大学に通う日本人留学生にアポイントを取っていた。NYで3日、ボストンで2日を過ごし、彼らと話す中で、自分がいま迷い続けている迷路から脱出するきっかけを作ろうとしたのだ。これを契機に自分を変えるんだ~~と意気込んでいた。

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コロンビア大学。神殿みたいだね。

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Greyhound (格安バス)でボストンへ。社費留学させてくれるのはBusiness school (経営大学院)なのに、なぜかGoverment school (公共政策)を撮影。

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MIT。衝撃を受けたキャンパスランキング第1位。ちなみにこの中には学生が子供を預けられる託児施設があった。英才教育か。

日本からやってきた見ず知らずの僕に対して、アポイントを取っていた日本人留学生の皆さんは驚くほど丁寧に相談にのってくれた。意外とキャリア官僚が、省庁のシステムで留学している割合が高いことを知った。私費組と社費組で雰囲気が若干異なるようにも感じたが、とにかくみんな必死で勉強していて、日本人同士の結束感が強く、お互いに協力してこのチャレンジを乗り切ろうとしているのを、痛いほどに感じた。

そして何より理解したのは、誰も自分がいた環境から逃げたくて留学したのではなくて、なにか大きな目標があって、もしくはキャリアップしたくて、非常に前向きな理由でいまの場所を選んで来ているということだった

もう1つの学びは、当たり前だが、大学院の試験というのはすごく難しく、圧倒的な努力と目的意識が無いと絶対受からないということだった。GMATというセンターみたいな試験と、TOEFLに加え、Skype面接や、周囲からの推薦状が3通必要。更に学部時代の成績を点数化したGPAも評価される。GPAとか今からの努力でどうしようもないやん・・・。しかも職場で上手くいってないから留学したいのに、いったい推薦状なんて誰に書いてもらえればいいんだ。というか、そんなことも知らずに、はるばるニューヨークまでキャンパスビジットとか、あほすぎるやろ。知れば知るほど、自分の考えの浅はかさに気づかされた。

今の環境から逃げる場を探してアメリカまで来たのに、そこで会った人には「夢をかなえるために、一緒に努力しよう。で、君は何がしたいの?」と聞かれ続け、恥ずかしさと申し訳なさで心がいっぱいになった。

違う。違うねん。やりたいことが無いから、ここにきたのに、そんなことを聞かないで。

皆さんは日本から来たまだ若い、熱意のある若者に、精いっぱいのアドバイスをしようと誠実に対応をしてくださったのだと思う。そのやさしさに触れて、僕は自分が自分としっかり向き合ってこなかったことに気づかされた

観光用にとっておいた滞在最終日。僕はカフェにこもり、自分が如何に努力せずあさはかな考えをもってこの場所に来てしまったか。その恥ずかしさと反省をひたすらノートに書きなぐった。

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逃げたい思いで留学なんて、考えるもんじゃないなあ。。
結局、失意のまま帰国し、また同じように仕事をつづけた。

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それから7年経って2017年。結局僕は、社費留学制度に応募することさえしないうちに、会社が設定する年齢の上限にひっかかり、その応募資格さえ失った。

結局、努力をするのにも一定の覚悟と目標が必要で、僕にとってそれは大学院では無かったんだ。僕が努力したかったのは、学生時代のように自分が心から楽しいと思える仕事に就くことで、そこからした努力は以前のnoteにも書いた通りだった。少しずつ人脈をつくり、自己分析を続ける中で、入社から4年後、職場を異動して、そこから人生をリセットするような気持ちで働き続けた。そうしたらその先に、完全に忘れていたニューヨークでの生活が待っていた。

失意のうちに帰国してから、7年後に住むことになったニューヨークに来てから気づいた。あの時、自分が進むべき道はこっちじゃないと気づけたのは留学生の皆さんが、誠実に自分と向き合ってくれたからだ。人のやさしさに触れて、自分の進むべき道を考え直せたことで、いまの生活があるような気持ちになれた。本当にありがたく、忘れられない大切な思い出に、あのキャンパスビジットはなった。

最後に2011年当時の写真と、アメリカに住んでからの自分を比較したツイートがあったから紹介してみる。あまりに無知で常識が無く浅はかな若者だったかと思うが、少なくとも行動することで得られたものは大きかったとも思える。お疲れ様、当時の自分。


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1987年生まれ、奈良出身。関西愛がすごい。2017年、駐在員としてニューヨーク勤務→2019年に帰任。本職は広報・マーケです。帰国してから改めて日本で感じたことや、大阪の面白いニュース、娘との日常など当てもなく投稿しています。※発言は個人の見解です🙆‍♂️