見出し画像

”能力”ではなく”存在”を考えるときがきたようだ

自分の心境に大きな変化があったので、それを発信してみようと思います。

「ありのままの自分でいたい」

高校を卒業してから半年間ずっと挑戦し続けてきました。やりたいことがある状態が正しいと思い込んでいたから、ずっと自分がやりたいと思っていたことをやってきました。

自分のことを
ー脳科学を学ぶために、ドイツの大学を目指しています。ギャップイヤーを日本に選択肢の一つとして広げるために活動しています。起業家シェアハウスに住んでいました。ー
って感じでカッコつけて紹介してました。でも、それってなんか違うな―、ダサいよなと思うように。物心ついたころからずっと、人からの評価を気にして生きてきたのかもしれません。

自分を良く見せるために、マウントをとったり、能力を誇示したり。苦しかったです。だから、自分の嫌なところ・醜いところと本気で向き合いました。

そして、心の奥で僕は
”ありのままの自分でいたい”と叫んでいた。気づくことが出来て本当に良かったです。それから、自分の弱音だったり、正直な気持ちを発信してみました。すると、「真正面から自分の弱みと向き合っている姿が素敵だなあと思いました、、」と連絡をくれた子がいて。嬉しかったです。この経験から少しずつ自分を表現することが出来るようになりました。


これまで僕は自分のことを取り繕って生きてきました。

・能力がない自分を認めたくない
・無能だと思われたくない
・人からの期待に応えたい

ずっとこんな感じのことを無意識のうちに考えて生きてきたようです。それって、結局”ありのままの自分”を否定されるのが怖いから。価値がなくなってしまうから。

何もない自分を認めるのが嫌で、肩書や経歴、やりたいことの名詞で自分をラベリングしていました。人と話すときも、相手に自分が価値ある人間なのか認めさせることに必死でした。

でも、それって自分の心の奥ではすごく苦しいんです。幸せじゃないんです。だから僕は自分の痛みと向き合いました。痛み・苦しみ、「変わりたい」という心の叫びを素直に受け止めました。一人で自分と向き合いながら涙があふれてきました。泣くほどまで本気で向き合ったら、ものすごく心が軽くなりました。

外側に”何か”があるはずと思い込んでいたけれど、その”何か”は自分の中にありました。結局、上辺だけで語っても誰の心にも刺さらない。自分の声で、言葉で話していきます。

本音を話すことで、傷つく誰かがいるかもしれない。ありのままの自分を出すことで、離れていく人がいるかもしれない。”ありのままの自分”でいるってめちゃ難しいです。今後のテーマとして考えていきます。

僕は人に優しくありたい。心の温かさを感じられ、与えれれる人でありたい。そして、弱さを弱さとして受け入れたい。

かつての僕のように、「頑張らなきゃ」と苦しんでいる高校生がいたら、
「まだ別に何者でなくていい。等身大の自分でいよう。」そう伝えたいです。



これまで僕は自分にも他の人にも正直じゃない生き方をしていました。高校を卒業してから最近までの半年間にそれが濃縮されていたような気がします。誰かに認めてほしくて、自分の能力を、価値を向上したくて必死でした。今すぐは難しいけれど、いつか過去や自分の醜さ含めて愛したいです。


この半年間で様々な方と繋がることができ、貴重な経験もたくさんさせていただきました。本当にありがたいことです。これも「価値がない」の痛みから行動した”おかげ”で得ることが出来たと考えたら、少しは楽になるのかな。

これからについて


9月末で住んでいるシェアハウスを卒業します。10月からは実家に戻ります。東京での生活に疲れたので、まずはゆっくりと休みたいです。体と心がボロボロなので、予定をあまり入れずに自分のことを大切にします。


進路は一から考え直すことにしました。海外の大学に行きたいってのは変わらなさそうだから、そのための勉強をこれから本格的にはじめます。


想像以上に自分が疲れているので、温泉にゆっくり浸かり、静かな場所で内省し、大好きなランニングを再開しようかな。基本的な生活習慣を整えて、また心の底から笑えるようになりたい。それまで休もう。


休養期間って必要なんだなーってやっと実感することが出来ました。このnoteも書き始めてからかなり時間たっているけど全く書けていない笑


かなりメンタル落ちているけれど、自分と向き合いながら生きているので何とかなりそうです。また色々と落ち着いて、回復したらまた書きます。

読んでくださりありがとうございました。では。

ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!