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いじめと女性と人間関係の構築と

はじめに

この文章は、以下の3つの書籍から着想を得た文章です。あくまでも「着想を得た」というだけであり、書籍の内容をそのまま紹介したり引用したりしているわけではない点にご注意ください。

中川翔子『「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない』
松村圭一郎『旋回する人類学』
中島義道『純粋異性批判』

ひとこと感想

これらを読んで思ったことを一言でいうと、

『死ぬんじゃねーぞ』:いじめられるのはつらいけど、あなたもいじめる側になっていたかもしれないよ。
『旋回する人類学』:崇高なる学問たる人類学anthropology円環の理law of cyclesに導かれて発展してきた。
『純粋異性批判』:理性とは女には扱えない力である。

である。

さまざまな破壊と創造スクラップアンドビルド

「信頼を築くのは時間がかかるが、信頼を失うのは一瞬」という趣旨の言葉はそこら中にあふれており、私は何度もこの言葉を見たり聞いたりしてきた。この言葉は、信頼というものは重要であり、それを失わないことがよいことである、という前提が含まれていると考えている。
信頼はそういうものだとしよう。では人間関係にそのまま置き換えたらどうだろうか。「人間関係を築くのは時間がかかるが、人間関係を失うのは一瞬」。この言葉そのものは正しいと思う。しかし、人間関係を失うことがよくないことであるとは思わない。

中川『死ぬんじゃねーぞ』では主に児童生徒のいじめについて書かれている。いじめも人間関係のひとつとして捉えることが出来る。いじめを解決する方向であれいじめから逃げる方向であれ、「いじめ」という人間関係は解消されることに変わりはなく、したがって「人間関係を失う」ということはできるだろう。私の経験上は、いじめの関係にあった人間どうしが後からなかよくなるケースはあまり想定されないため、失われた人間関係は失われたままになる。人間関係に限らず、なんでもかんでも得ることがよいこととはいえず、むしろ失った方がよいものもたくさんあると私は考えている。

松村『旋回する人類学』に描かれた人類学の発展をふまえると、学問の発展というものは常に破壊と創造スクラップアンドビルドによりなされているのだと思う。ある研究成果があり、それが正しいという前提でまた別の研究が行われ……というのが、旋回しない一直線の学問の発展である。しかし、過去の研究成果に一石を投じる研究はしばしば現れる。たとえば、医学分野でアルツハイマー型認知症の原因物質として脳に蓄積するアミロイドβが考えられている(アミロイド仮説)。製薬企業各社はアミロイド仮説に基づいた医薬品を開発しようと奮闘する一方で、臨床的な有効性が十分に得られないなどアミロイド仮説の正しさに疑念があるデータを残してきた。現在もアミロイド仮説に基づく医薬品開発は続けられているが、アミロイド仮説が正しいという学術的・臨床的な合意は得られていないと理解している。
人類学をはじめ、多くの分野がこのように旋回や派生をしながら発展してきたのだろう。「この方向性だとうまくいかないな」と思ったときに、試行錯誤してその方向を突き進むのもありだし、切り替えて別のアプローチを選ぶのもまたありだ。

主要な人間関係として想起されるのは、家族づきあいの次は異性との関係ではないだろうか。命のバトンを渡し続けてきた生物としては、その種族に関係なくオスとメスの関係には一定の価値を認めざるを得ない。これはほかの動物種にはみられない人間だけのことなのかわからないが、「女性ではなく一人の人間として扱ってほしい/尊重してほしい」という意見が散見される(インターネットだけではなく、実生活でいわれたことがある)。自分がほかの人間に対してどのような態度をとるか/どのように扱うかは、良しあしは別として自分に決定権があるのであり、すり合わせて方針が決まるわけではない。私は人間関係における「暴力」にはわりと肯定的である。殺害や身体機能を奪うようなものには反対するが、学校教育における体罰や、いわゆる京都しぐさのような言葉のナイフをある程度許容しないとかえって人間関係が円滑にならないと考えるためである。もし「女性ではなく一人の人間として扱ってほしい/尊重してほしい」と言われたときに、「うるせえ!」と言いながら一発殴ることで問題が消える(解決とは言っていない)のであれば、当事者が納得する限りにおいてそれはそれでよいことであると思う。中島『純粋異性批判』は別に物理的な暴力を肯定してはいないものの、持っている「理性」が男女で異なっているのであれば、それは共通言語を有していないことと似たような状態であるということはでき、そうであればなにかしらの「暴力」で問題を乗り越えるというのは許容されるべきであると私は考える。

おわりに

やや過激な意見に思われたかもしれない。しかしどのように思われようが知ったことではない。この文章を読んで(読まなくてもいいが)私と人間関係を構築しようと思うかはあなたの自由である。なにかあればコメントを頂ければ助かる。

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