分離派建築会。大学生の若者が自分の意見を世の中に問うことは勇気がある。 私は20代に何をしていただろうか、恥ずかしくなった。
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分離派建築会。大学生の若者が自分の意見を世の中に問うことは勇気がある。 私は20代に何をしていただろうか、恥ずかしくなった。

長谷拓治郎

京都国立近代美術館で「分離派建築会100年 建築は芸術か?」が、
今週末の3月7日(日)まで開催されています。
https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2020/440.html

分離派建築会はあまり有名ではなく、
不動産関連の仕事をしながらも、私は知りませんでした。

日本で最初の建築運動と言われており、
1920年(大正9年)に東京大学建築学科の学生であった6名が始めました。
堀口捨巳
矢田茂
森田慶一
瀧澤真弓
山田守
石本喜久治

聞きなれない名前が多いかもしれません。
彼らがデザインした建築は残っているものもありますが、
関東大震災や第二次世界大戦により焼失したものも多くあります。
京都に住む私にとって身近なものは、
山田守がデザインした京都タワーでしょうか。

学生である彼らが、分離派を名乗って何を言いたかったのか?
それは、建築をひとつの芸術として認めてもらうことです。

明治から大正にかけての建築は、国家としての課題を解決することであり、
構造と機能面から語られていました。

例えば、鹿鳴館(1883)は、西洋に対して日本の権力をアピールするために時の権力者がイギリスの建築家コンドルに設計をさせています。
辰野金吾は、近代的な国家・都市を整備するために、国家のモニュメントとして日本銀行(1896)や東京駅(1914)を作り上げています。

分離派はこの流れに反発します。
建築は国家的課題への答えを模索するものではなく、
創作として個人の「芸術意欲」に基づくものである。
このことを世に問うために、
「我々は起(た)つ」と宣言をして活動をしていきます。

20代そこそこの若者が、国家政策に真っ向から意見をいうこと。
さらに、内面の芸術性を作品に表すことは、
自らを批判にさらすようなもの。
自信もあったのでしょうが、高い志と勇気があるからできたのでしょう。

建築家とは何か?
若者が世に問いかけた意志としての作品は、力強さを感じる芸術だと、
私は感じました。


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長谷拓治郎
京都でファミリービジネス(不動産関連)の3代目経営者をしています。2児の父親。妻も経営者なので、家事・子育ては半分づつ担当。家族と仕事をすること、子育てと仕事の両立の楽しさを模索してます。趣味はトライアスロンとテニス観戦。グランドスラム観戦しながら世界一周をしたい。