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人の話に「まとめ」はいらない

こんにちは。
倉敷の美観地区を拠点に『株式会社有鄰』という会社の代表をしている犬養といいます。

最近、ウェビナーがとても増えてきて、僕もけっこうよく観るようになりました。
リアルタイムのウェビナーのほか、トークイベントをYouTubeなどにそのままアップしているケースも数年前から増えていて、仕事しながらラジオ感覚で聴くことも多いです。

ちなみに僕が特に面白かったのはこれ。
今の時点でまだ再生回数が636回なのが信じられないです。

もう一つ、これもめちゃくちゃおもしろかったです。

さて、本題に入ります。

人の話は「まとめ」たらつまらなくなる

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ウェビナーやトークイベントが終わったあとに、その「まとめ」というコンテンツもつくられることが多いですよね。

ウェブサイトにまとめページが載る。
要旨をまとめたグラフィックレコーディングがSNSに載る。
司会役のファシリテーターが口頭で登壇者の話をまとめることもあります。

でも、誰かが数十分にわたって話したことをまとめたものって、そのごく薄い表面をなぞったものなので、面白くないんですよね。
希薄化させて、すごく味の薄くなったスープのようで。

そのウェビナーやトークイベントをちゃんと聴いた人は、その話を咀嚼するためには「まとめ」に頼らない方がいいのではと思ってます。

「人の話にまとめはいらない」とちょっとオーバーなタイトルをつけましたが、言いたいこととしては話を数十分にわたって聴いたんだったら「まとめ」に頼るともったいないよ、という話です。

なぜ「まとめ」がつまらないか

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まとめた人(=編集者)やファシリテーターの技量次第、ということではあるのですが。

だいたいの場合において、まとめると表層的な話になるからです。

やっぱり数十分にわたって話した話を「分かりやすく」するという時点で、大事なエッセンスは薄まっていると思った方がいいんじゃないでしょうか。

数十秒の要約や、ひと目で分かるグラフィックで伝わるなら、そもそもちゃんと話す意味がなくなってしまいます。

もしくは、そのまとめた編集者が表層的な部分までしか理解していないこともあるかもしれません。
でも編集って素人にはなかなかできないスキルなので、そんなに多くの人はできないと思います。もちろん僕を含めて。

人の話の「まとめ」は何のためのものか

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でも人の話をまとめることに意味がないとは言いません。

主にそのイベントに参加できなかった人、話を聴く時間をとれない人のためには、ちゃんと意味のあるものだと思います。
なので、そういう人たちのためのものと思っておけばいいのではないでしょうか。

繰り返しますが、そのウェビナーやトークイベントをちゃんと聴いた人は、その話を咀嚼するために「まとめ」に頼らない方がいいのでは、という話です。

そして、人の話は面白く、ためになる

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やっぱり、面白い人の話は面白いですよ。
そしてためになる。

このnote、そういう面白い人の話が「まとめ」られて希釈化されていくことに対して「もったいねえ!」という反発心から書いているのかもしれません。笑

「これをやりました」「こう考えてます」という話自体より、その人の生き様や考え方(=意思決定のプロセス)が透けて見えるのが面白くてためになるんですよね。

人の話の中でその面白みを感じるのは、海の中に潜っていくダイビングのような行為かもしれません。

「これを感じるべき・見つけるべき」という決め事がない中で、自分が楽しいと感じるポイントを見つけていく感覚なんですよね。

まとめられたもので「分かった」気になるのは、人のダイビングログの「今日はこういう魚を見た」という記録を見てそのダイビングという体験や海のことを分かったような気分になる、ということでしょうか。

最後は、もともとダイビングインストラクターもしていたので、潜水を例にしてみました。

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