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【1-1】なぜ日本はハンコ文化になったのか?

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【正解】
B.です。
B.では10か国としましたが、実際には「3か国」です。

ハンコを使っているのは日本だけ?

日本以外で採用している国は、台湾・韓国で実用的にハンコが使用されています。
案外知らない方も多いようです。貴方はご存知でしたでしょうか?

ちなみに、台湾は一般的に正方形の角型が主流です。
これは台湾人が夫婦別姓が多いという点と、フルネームの文字数が日本の「4字」と異なり、「2字、3字」の方が多いという点が影響しています。

一方韓国では日本と同様に円形の印鑑が用いられています。なお、韓国では2009年頃からIT化を進め、2014年までの印鑑全面撤廃を目指していましたが、上手くいかず2020年の今でも印鑑登録制度の全面撤廃にはなっていません
※昨年、韓国のTV局から当店の取材に来られました。コーディネーターの方が印鑑についてお詳しかったのを記憶しています。

また、多くの方は中国も使われているのでは?と想像されていたかもしれません。しかし、中国では既に実用のハンコとしては使用されておりません。サインで代替されています。

一方で欧米諸国においては、ハンコが使われているイメージは乏しいと思います。それもそのはずで、この100年ほどはほとんど使用されていません。

しかし、かつてはローマ帝国時代を最盛期として、貴族社会を中心にハンコはステータス・シンボルとして普及していました。貴族社会だけあって、その素材には宝石(金、銀、ラピスラズリ、トパーズなど)が用いられていました。またその多くは指輪型のハンコでした。

こうしたハンコですが、第一次大戦後には署名調印のみとなり、今ではほとんど使用されていません。この背景には家柄を重んじる貴族社会の没落という社会情勢の変化が大きく影響したと言われています。

つまるところ、台湾、韓国ともに日本文化が影響している歴史的背景も踏まえて考えると、印章制度というのは世界に唯一残る、日本文化と言えるのかもしれません。その一方でガラパゴス文化であるという点も忘れてはいけません。

日本はサイン文化?ハンコ文化?

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【正解】
C.の4割です。
実は日本は歴史的にサイン文化であった時代が結構あるんですね。

日本でのハンコ歴史をざっくりと時系列で説明しますと、次のようになります。

⓪文様を押す道具(縄文時代の「土印」で厳密にはハンコではない)

(約2,000年間)

①贈答品のハンコ(有名な金印などはここにあたる)

(約700年間)

②実用のハンコ(律令制度の確立による官印の普及)


(約200年(大宝律令~遣唐使廃止(国風文化の勃興))

③日本版サイン(花押と呼ばれる署名)


(550年(遣唐使廃止→印判状の使用))

④復活したハンコ(戦国武将が使い始める)


(500年?(印判状の使用→??))

⑤???(令和以降の日本)

日本のハンコの起源は大宝律令だった

日本でハンコが実際に使われ出したのは、大化の改新ののち、「遣隋使」を通じて、中国の文書が日本に渡り、これらをフォーマットとして律令制度が生み出されました。こうした経緯で整備された701年の大宝律令において『新印様を頌布す』と記述されており、ここをハンコ使用の起源(②)とする説が有力です。
要するに「二官八省」という官僚制度が敷かれ、その社会的な責任(権限)を表す記(しるし)として「官印」が使用されたのですね。

こうした事からも多くの文化とともに、ハンコもまた中国から渡来してきた文化の1つと言えます。実際に奈良時代の「大和古印(下図)」と呼ばれる銅印「太政官」の印を見ると、その書体は隋唐時代の印の書体とそっくりです。

太政官印

-----こぼれ話-----
ちなみに、この書体、「篆書体」と言いますが、今の日本の印鑑でも同じ書体が使用されているんです。ですから、私などは1500年以上前の印でも印影だけみると、昨日彫ったもののようにも感じてしまうんです。

これを彫った方も2020年に私がこれを見て驚いているのは想像もしなかったでしょうね

1つの文化が長く続いているというのは、その事実自体がお金には換算できない価値があると感じます。
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日本版サイン

次に日本版サインについては、上記の中で③の部分になります。
時代としては、平安後期の頃から「花押」が広く使用されるようになったといわれています。
この背景には、「律令制度」(公式文書などに押す官印)が廃れたことと、中国(唐)からの署名文化の伝来、この2つが大きく影響していました。

前者の政治機構の変化により「律令制度」が終わり、無印文書が容認され、勅書までも天皇御璽のない簡略化された「綸旨(りんじ)」になるなど、社会構造の変化とともに印は使用されなくなっていった文脈はどこか現代に通じるところがあります。

このようにして印文化は儀礼的なものを除き、世の中から消えていきました。

これに代わるように現れたのが、「花押」で、私文書、公文書問わず使用されるようになりました。
したがって日本の中世(平安後期~室町時代まで)のおおよそ550年間においては、日本は「サイン(花押)」文化の国であったわけです。

実際に使われだした②の時代~現代までの期間で「ハンコ」と「サイン」の使用期間を比較すると、ざっくり
ハンコ:6割、サイン:4割となります。

これは、現代を生きる我々には結構、意外な事実ではありませんか?

-----こぼれ話-----
「花押」の書体には、当初「楷書体」が使用されていましたが、この頃一般に使われていた文字が

・「草書」と「仮名」であったこと
・偽造されにくかったこと
・単純に形が美しかったこと


の3点から「草名書」という字が使用されていました。

なお、「花押」の「押」は「署名」を意味します。したがって「花押」とは「花のように美しい形の署名」という事から名付けられました。
こうした言葉のチョイスにもセンスの良さを感じます。
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【古い文化を今に伝え、新たな文化を刻みだす】 ハンコ文化のコアな部分は残しつつも、既存概念を取っ払い、時代合わせて変化する! 僕はそんな挑戦をしていこうと考えています。 同じような挑戦をしている方!! 一緒に楽しく頑張っていきましょう!!