天の布置は2秒で踏め
こんにちは!
コミュニケーション中毒、略して『コミュ中』のtuck’nです。
先日コロナウイルスの影響下の中、保菌者が多いであろう名古屋の有名コンサルティングの先生と飲みに行きました。
その際にとても面白い話をしていたので、酔っぱらいながらも必死でメモを残していました。
ビジネスの話ではありますが、恐怖心とチャレンジについての興味深い話だったので、皆さんにも共有したいと思います。
天の布置は2秒で踏め
飲み会の中で、私が
「未体験のチャレンジを行う際に、
予期せぬところから背中を押されることありますよねー。」
と営業の話をしていた時に、先生が
「tuck'n君、天の布置って知ってる?」
と急に振ってきた。私は知らなかった。
聞くと、天がもたらす偶発的なチャンスの事だと。
その先には落とし穴が待っているが、頑張っている人にだけ、
天が時々穴に布を置いてくれるとの話だった。
先生はマーケティングのプロなので、スピリチュアルなものをあまり好まない人だ。付き合いの長い先生だが、データに基づき、統計学的に物事を捉える人だとは周知のこと。
まぁ、そこに心理学を交えて人を動かすことを論じるのが非常に秀でた人なので、一概に数字人間とは言えないが。
そんな先生から急に天などという言葉が出てきたので、
「きな臭い話は珍しいですねw」
と返すと、まぁ、たまには聞いてよとのこと。
常識の外に置いていた世界へのチャレンジ
先生は45歳の時に、マーケティングでは超売れっ子になり、有名住宅メーカー、電力会社など多くの顧客を掴むことに成功した。仕事も多忙を極め、
「正直儲かってもいるし、これ以上は無いな。」
と頭の片隅にあったある日、
京都大学の知人から『京都大学の講師をやってみないか』と誘いが入った。
聞いたときは話半分に聞いていたらしい。
というのも、人前で話すことは慣れていたが、京大の講師などできるはずがないと思っていた。
知人はぜひやるべきだと推してくるが、
ここまで築き上げた名声が講義失敗により失墜するのではないか?
そもそもチャレンジしても仕事にプラスにもならないだろう。
と腰が引けていたらしい。
そう。ビビッていたのだ。
恐怖心からyesは言えないが、失敗を恐れていると思われるのも嫌で、のらりくらりと返事を先延ばしにしていたある日、
岐阜大学の知人から講師の依頼が来た。
先生はとっさに、
「後日京都大学で講義をする内容を試験的に講じても良いか?」
と相談したらOKが出た。
京大での講義をやるとしたらコレと内容の目星はあった。
『練習できる』
そう思った。
この時、京大の知人から岐阜大での講師の話を勧められていたのではないかと聞いたが、まったく知らない話だったらしい。
※語弊があってはいけないので説明します。
先生は岐阜大が京大より劣っているとかそういう考えで練習になると思ったのではなく、京大出身のため、人一倍京大は思いが強いのです。
先生の中では、教授でもないのに大学の講師を行うのは、よほどの著名人だけだとタカをくくっていた。自分の触れる世界とは思ってもみなかった。
失うものがチラつくと恐怖心により足がすくむ。誰でもそうだろう。
その時既にある程度の成功を手にしている。無理する意味はない。
しかし、一度ステップを踏めると思った先生は心に余裕ができたのか、
『何が起こるかわからないが、こんなチャンスは二度とないだろう。
マイナスになるかもしれない。しかし敢えてチャレンジだ。』
と思えたと言う。
岐阜大の依頼はまさに天の布置だったのだろう。
今までの自分ではできなかった判断を覚悟を持って下したこの時、
先生は脳内でドラクエのレベルアップ音がなったらしいw
それから二つの大学の講師を経たことにより、1つステージが上がった先生は、仕事の依頼もさらに大きくなった。はっきり言わなかったが、ありえないと思っていたスーパーゼネコンのコンサルが入るようになったようだ。
この経験を踏まえて、先生は
未知へのチャレンジは不安が付きまとう。
しかし、そこを踏み出すチャンスを天が与えてくれることがある。
失敗の落とし穴を隠す布を置いてくれた時、
『でも、布だしな・・・』
と回避するのではなく、秒でその布を踏めれば新しい世界が開ける。
と考えるようになったと言う。
ありきたりだが、チャンスは逃すなということだろう。
脳みそはエラーを起こしている
これ以降、先生は自らが生み出す恐怖心をどうやったら克服できるのかを考察するようになった。
いろいろ調べていると、面白いことを見つけたらしい。
恐怖心が発生したとき、脳みそはエラーを起こしているとのこと。
本来恐怖心を覚えなくていいことも、脳がエラーを起こして怖がってしまっていることがあるらしい。
例えば、バンジージャンプはとても怖い。
しかし、車の運転より致死率は遥かに低い。言えばみんなわかってくれる。
でも、話をした上でも踏み切り台の上に立つと夜に運転するより怖がる。
夜の運転なんてバンジーの致死率の何倍だろうか。
ここはロジックが矛盾している。
しかし、人間はそう反応してしまうのだ。
お化け屋敷もそう。お化けは人がやっている。しかも殺されることもない。
それでも怖くなる。(人によるが)
そう。恐怖心は脳のエラーなのである。
先生はこの論理に行き着いてからは、足がすくむようなビッグチャンスも2秒でyesを言うように心がけているらしい。
恐怖心に囚われながら、震えながら2秒で返事をするのだと。
急に沸いて出た想定外の高いハードルは、失敗を恐れたりして躊躇しても、足がすくんでも、チャレンジしなかったら何も起きない。
むしろ契機を逃したという損にしかならない。
ここまで先生の話を聞いて、不意に
「高いハードルほど超えた先に広がる未来は明るそうだけど、やっぱり失敗したら痛そうですよね。怖いよなー。」
と同席していた同僚に言ってると、先生が前のめりに、
「万が一失敗したとしても、悔しがったり、悲しんだり感情が動く程の経験が出来たと、チャレンジャーの自分をほめてあげればいいじゃない。」
と言ってきた。
後悔のない人生を送りたい
続けて先生は言う。
「みんな死ぬときにきっとベッドで
『あぁしておけばよかった。』
『こうしてたらどうだったのかな。』
なんて思いそうじゃない?
だったら俺は思い残すことのないようにチャレンジしたいな。
どうせ後悔のない人生何てありえないのだから。」
いつもの先生の講義とは全く違う温度の話だった。
芋のお湯割りを片手に、饒舌に語る笑顔が今まで見たことのない顔だった。
帰り際に先生が改めて、
「tuck'n君、失敗したって良いじゃない。挑戦による喜怒哀楽があることは、避け続ける無感動な人生よりよっぽど幸せだよ」と。
締めがカッコよすぎやろw
帰りの電車の中で、酔った頭を必死に冷ましながら
目の前にハードルが出たら、2秒で走り出せ。
天もきっと幾度も布は置いてくれないだろう。
恐怖心は脳のエラーだから、無視して良い。
そんなことでチャレンジにブレーキをかけることは勿体ない。
脳は勝手に勘違いを起こしているだけだ。
失敗しても結果的に幸せになれる。
とスマホにメモしていた。
最後に
長文を最後まで読んでくれてありがとうございました。
少しスピリチュアルで偶然的な要素を含む話でしたが
いかがだったでしょうか?
様々なシーンで失敗に憶病になったり、
チャンスと分かっていても動けないことがあると思います。
そんな時、これを読んだことを思い出して、
1つでも多くのことにチャレンジしていただけたら幸いです。
私も小利口な部分が邪魔をして一歩踏み出せないことが多々ありました。
書いてて何ですが、人一倍ビビりだと思います。
今日ここまで書ききったことを糧にして、
明日からは多くのチャレンジをしていこうと思います!
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