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キンベル美術館に見るルイスカーン建築の魅力


0. 建築の宝庫、ダラス-フォートワースを訪れる


5月の初めに休みをいただいたので、4日間だけテキサス州にあるダラスに行ってきた。ニューヨークから飛行機で4時間ほどの旅だったが、州を越えるとまるで違う国に来たような印象を受ける。共和党支持者が多いだけあって、東海岸ではなかなか見ない「Make America Great Again」のバナーをよく見るし、テキサス州自体完全な車社会なので、ダラスのダウンタウンと言えども歩行者はほとんどおらずとにかく閑散としている。人で溢れて賑わいのある東京やニューヨークの街並みに慣れている僕からすると、かなり異質なシティスケープのように映る。ダラスは1963年にケネディ大統領が暗殺された場所として有名だが、それ以外はこれといった観光スポットがあるわけでもないので、特に用がなければなかなか立ち寄ることのない街と言える。

ダラス市内とその周辺を走るDARTと呼ばれる公共交通機関。基本的に車社会なので、駅の多くは無人か浮浪者の溜まり場となっていた。
ケネディ大統領が暗殺されたダラス市内のElm通り。あの有名な動画はこの写真と同じアングル、同じ場所から撮影された。

そんなダラスだが、実は周辺には有名建築家による作品が数多く点在している。まず市内にはモーフォシスによるペロー自然史博物館やOMA/REXによるDee and Charles Wyly Theatre、レンゾピアノによるナッシャー彫刻センターなどがある。ダラスから車で30分ほどの街フォートワースには、ポールルドルフによるオフィスビルや住宅、フィリップジョンソンによるウォーターガーデンやアモンカーター美術館、安藤忠雄によるフォートワース現代美術館などがあり、まさに建築の宝庫と言っても過言ではない。建築に携わる方や建築好きな方、建築を志す学生にはぜひ一度訪れてみてほしい場所の一つだ。

モーフォシスによるペロー自然史博物館。波打つようなコンクリートパネルが特徴的な建物だ
OMA/REXによるDee and Charles Wyly Theatre。円形のアルミ押出材がほぼランダムにファサードを覆い、中のプログラムがオバケのように透けて見える
フィリップジョンソンによるウォーターガーデン。様々なテーマを持った「水庭」が点在するユニークな公園。特にこの滝壺を模したような水庭がスケール、構成ともに大胆で一番の見どころとなっている。
安藤忠雄によるフォートワース現代美術館。水庭に張り出した大きな庇とY字の柱が特徴的


その中でも僕がかねてより行ってみたいと思っていた建築が、同じくフォートワースにあるキンベル美術館だ。アメリカ史上最高の建築家ルイスカーンによる最高傑作としばしば呼ばれる同美術館は、連続するヴォールトというシンプルな構成と自然光の取り入れ方が特徴的な作品だ。

連続するヴォールトというシンプルな構成のキンベル美術館。手前にはイサムノグチによる彫刻が置かれた庭園がある
美術館のエントランス。コンクリートヴォールトの頂部に開けられた開口から自然光を取り入れ、それを湾曲したアルミ板で反射させることで天井を照らす構成。

結論から言って僕はこの建築に凄まじい感動を受けると同時に、ルイスカーンという建築家のただならぬ感性と建築に対する姿勢に、畏怖に近い感情を抱いた。そしてこれまで見てきたルイスカーン建築の魅力とその理由が、キンベル美術館を観察することを通して一つの論として言語化されていく感覚を覚えた。今回はそれらを二つのポイントに焦点を当てて、忘れない内に記述しておきたい。

またルイスカーンやキンベル美術館の基本的な解説や紹介はここでは割愛することにする。もし詳しく知りたいという場合は、僕自身いつも勉強させていただいているkezamaさんによる以下のnoteを合わせて読んでいただくとよいだろう。

1. 理想のキンベル、現実のキンベル

さて、早速要点から入ると、キンベル美術館には二つの状態があるという仮説をまず立ててみたい。一つは現実の建物としてのキンベル美術館。そしてもう一つは理想の状態、理想の建築としてのキンベル美術館だ。

どういうことだろうか。これについて考えていくためには、この美術館の特徴であるコンクリートのヴォールト屋根について少し細かく見ていく必要がある。まず断面図をみてわかる通り、このヴォールトは梁の端から端まで地続きな一つの弧ではなく、頂部にトップライトを設けるために真ん中でスプリットしている。そしてその開口の下に湾曲したアルミの反射板を設けることで、天井に光を反射させつつトップライトの存在が内部からは見えないようにする仕組みとなっている。

Fig.1. キンベル美術館の断面図。ヴォールトが頂部のトップライトによって半分に分かれ、その下にアルミの反射板が設けられている。

このヴォールトの断面はサイクロイドと呼ばれる曲線(円を転がした時に円周上の一点が辿る軌跡)を描いており、カーンによるとトップライトからの自然光を均等に天井に反射させる上でこの曲線が最適な形状ということらしい。正確には、均等に光が分布しているように"感じさせる"曲線といった方が良いだろう[1]。アルミ板からの反射光には角度がついているため、最も光を受けやすいのは天井の曲面が地面と限りなく垂直に近づく点、すなわちヴォールトの両端になる。ヴォールトの頂部はトップライトからの入射光自体でそもそも明るくなっている。そしてサイクロイド曲線は横に平べったい弧を描くので、ヴォールトの頂部と両端の間の地面と並行に近い面は、反射光を受けにくくなっている。すなわち、光が集中する部分は断面上では次のような三角の関係を結ぶ。

光はヴォールトの頂部と両端に集中し、上図の赤線のような三角形を描く。実際に光が均等に分布するのではなく、光が集中する箇所を的確にキュレーションすることで、均等に分布しているかのように見せている。サイクロイド曲線であることの重要性がわかる。

実際にこの天井の日中における輝度分布を調べている記事も見つけたので参照してみると、おおよそ上で説明した通りの結果になっている(ヴォールトの頂部と両端がより明るい緑色で、その間の平坦な部分はより暗い青色になっているのがわかる)。

Fig.2. ヴォールト天井の日中における輝度分布を調べたもの。頂部のトップライト付近が最も明るく、その次に最も低い位置にあるヴォールトの端部が明るいことがわかる(Priji Balakrishnan)

すなわち、カーンはサイクロイド曲線を採用することで光の当たり方にヒエラルキーをつけながらも、その力点がヴォールトの頂部と端部にくるように計算することで、あたかも均等に光が分布しているように感じさせているわけだ。これがもし奥行きがより深くて曲率が一定の半円ヴォールトだった場合、恐らく光は均等ではなくトップライトから発散していくような印象を与えたのではないかと思う。光を建築の要素や形態と同次元で考えながら、その相乗効果を最大化するこの緻密なエンジニアリングはまさに「光の建築化」であり、カーンが光の魔術師と呼ばれる所以でもある。要するにこのヴォールトのサイクロイド曲線は、この美術館の「自然光」というコンセプトを決定づける生命線であり、この建築にとっての理想の状態を実現する曲線なのである。

さて、自然光を最大限に生かすこの理想のヴォールトは、四隅の柱とその長手方向を結ぶ30mという大スパンの梁、そして短手の両端に架けられたアーチ梁によって支えられている。このスパンを実現させるために、ヴォールトの配筋にはプレストレスがかけられているそうだ。柱、梁、ヴォールトという極めてシンプルかつ純粋な構成を保ちながら、大胆な空間を緻密な構造エンジニアリングで実現していくのもカーン建築の特徴のひとつだ。

四隅の柱と長手方向30mという大スパンの梁、そして短手方向のアーチ梁によって支えられるヴォールト(筆者撮影)
Fig.3. 建設中のキンベル美術館。左半分はヴォールトの配筋工事とコンクリートの打設が進められ、右半分は構造の主要部分である柱と梁の工事が進められている

ところで、カーンは建築の実際の構造形式を隠したり、嘘をつくような表現をとても嫌う。例えばイェール大学ブリティッシュアートセンター(1974)は、主構造であるコンクリートフレームとフレームの間のインフィルが特徴の地下1階地上4階建の建物だが、実はコンクリートの柱は階が上がるにつれて徐々に細くなっていく。

写真左手の柱に注目すると、上階に向かって柱が徐々に細くなっていることがわかる(筆者撮影)

普通は、特にグリッドフレームという均質かつ純粋な形式が建築内外の表現になっているこの建築においては、各階で柱は均一に揃えたいと思うところだが、カーンはあえて「上の階ほど荷重が少なくなる」という重力と構造のリアリティをそのまま表現するのだ。

均質なコンクリートフレームが建築の構成と表現でありながら、重力と構造の関係性を均質さの中のアノマリーとして赦し、表現しきる寛大さが読み取れる(筆者撮影)

このように、極めて初源的な建築の構成や空間を追求する一方で、建築がその成立過程で直面する現実を嘘偽りなく受け止め、それを乗り越えるエンジニアリングの叡智を純粋な構成の中のアノマリーとして赦す寛大さもカーン建築の魅力だ。


話をキンベルに戻すと、カーンはここでも純粋な構造の表現にこだわり、柱と梁のみでヴォールトが支えられていることを示すために、柱の間の壁の上端と梁の下端は切り離し、その隙間に水平のスリット窓を挿入するのである。こうすることで、壁は建築の主構造に対して二次的で、ヴォールトの垂直荷重を受けない単なる仕切りという印象を与える。

屋外のヴォールト内部から見る。右手に見える長手方向の壁が梁から切り離され隙間が空いているのがわかる。さらにその向こうの隣のボリュームには水平のスリット窓が空けられ、同じように梁と壁が切り離されている(筆者撮影)

この手法はボリュームの長手方向だけでなく、アーチ梁が渡されている短手方向にも同じように採用されている。短手側ではヴォールトに沿ったアーチ状のスリット窓が空けられている。

短手のアーチ状スリット窓。長手方向と同様、このスリット窓があることで壁はアーチ梁と分離し、主構造に寄与しない仕切りであることがわかる(筆者撮影)

ここで写真を見ていただくと、このアーチ状のスリット窓、中心が上から潰されたようなちょっと不思議な形をしていることがわかる。潰れたような形をしているということは、窓の上端と下端で曲率が異なり、さらにどちらかがヴォールトに沿ったサイクロイド曲線ではないことになる。前章でくどいほど強調したこの建築の生命線、理想の曲線が、ここでは崩されているのだ。なぜだろうか。その答えはスリット窓の上に位置するアーチ梁の梁せいの変化にある。

ヴォールトの荷重を受ける6mスパンのこのアーチ梁は、中心に近づくにつれてたわみが端部に比べて大きくなっていくため、中心に向かって梁せいを増やす必要がある。そうするとヴォールトと直に接する梁の上端はサイクロイド曲線、そして下端、すなわちスリット窓の上端と接する面は梁せいの増加分で少し下に潰れたような自由曲線になる、というわけだ。

中心に向かって潰れたようなスリット窓。アーチ梁の梁せいが中心に向かって増加するため、窓の上端もそれに沿って中心に向かって沈み込むような形になっている(筆者撮影)
アーチ梁を単体で見る。確かに中心に向かって梁せいが少しづつ増えていることがわかる
(筆者撮影)

実はカーンは元々上端も下端も同芯のサイクロイド曲線で、幅が均一なスリット窓を図面には描いていたらしい。この建築の肝であるヴォールトに沿った窓なので、それに合わせて窓の曲線を統一するのは当然のデザインと言える。それが一転、協働していた構造家による計算で梁せいを中心に向かって増やす必要があると設計途中の段階でわかり、カーンは「このエンジニアリングはそのまま表現したい」と言い、元々描いていたスリット窓の上端だけ梁せいの変化に合わせて変え、今のような潰れた窓になったらしい[2]。一見些細に見える変更であるが、この判断にはちょっと常識では考えられない、とてつもない感性と勇気が必要だろう。

この場合、普通なら梁せいを最大値に合わせて揃えることでサイクロイド曲線を保つなり、サイクロイドは諦めても窓の下端を梁の下端からオフセットすることで窓の幅だけでも均一に保とうとするだろう。少なくとも僕ならまずそう考える(正直言われなければ分からない程度の梁せいの変化なので、窓の幅がせめて均一なら誰も違和感を感じなかったのでは?とも思ってしまう)。でもカーンはそのどちらも選ばない。なぜなら前者は重力という現実に嘘をつくことになるし、後者はこの建築の理想に嘘をつくことになるからだ。そこでカーンが出す答えが、サイクロイド曲線による理想のスリット窓を下端にだけ残し、上端は構造と重力の現実を誠実に受け止めて自由曲線に変更する、というものだ。すなわち、カーンにとっての理想のキンベルがあるという事実を隠蔽も改ざんもせず、重力という現実との葛藤をそのまま「潰れたスリット窓」として提出するのだ。

これが、キンベル美術館には現実の建物としてのキンベルと理想の建築としてのキンベルが状態として共存している、と僕が感じた理由だ。そしてこれは理想や現実といったこれまでのメタな議論以上に、この建築に視覚的な「動き」を与え、より深みのある体験を可能にしていると思う。

イサムノグチの彫刻が置かれた庭園ごしに、キンベル美術館と正対する(筆者撮影)

この「潰れたスリット窓」に気づいたあとに連なるヴォールトのボリュームを見てみると、確かに全体が上から重力をやんわりと感じているような、どこか人間味のある印象を受ける(イサムノグチの手前の彫刻が重力をより意識させるような気もする)。

内部では外観以上にこの「動き」の効果をよく感じることができる。

展示室内部。ヴォールト天井がトップライトと反射板からの光で照らされている。奥に「潰れたスリット窓」が見える(筆者撮影)
スリット窓を近くで見る。端部に向かって開口の幅が広がっていくのがわかる(筆者撮影)

スリット窓は端部に向かって幅が徐々に広がっていくと同時に、そこから溢れ出す光量が増えていく。すなわち、ヴォールトの端部でより多くの光を受ける、理想のサイクロイド曲線が作り出す天井の光の分布にも呼応したデザインとなっているのだ。常に変化し続ける光の状態を表現すると同時に、ヴォールト天井が作り出す光の効果も補助する。これがもし当初のような均一な幅のスリット窓だったら、どこかこの建築のコンセプトや体験から浮いたまま静止したような、建築の一部になりきれないもどかしいデザインになっていたような気がする。

そして何より感服するべきは、建築の理想像を現実に対する誠実さで上書きしながらも、それを誰も想像できないような新たな価値へと昇華できる、カーンの建築家としての感性と懐の深さだろう。理想の状態が実現できないという危機に対し、理想に執着するのではなく現実を受け入れることで更なる豊かさを目指す。この「潰れたスリット窓」という決断は、人間が理想とする物事や建築の在り方の上位に、人間を超えた事象や万物の論理という現実を置き、それを信頼し続ける信念が無ければ決して生まれ得ないものだろう。

理想は現実と対峙させることで初めて生き生きと動き出す。そのためには、自分の理想を信じること以上に、自分という存在を超えた現実をまず信じることが大事だと、カーンの「潰れたスリット窓」は僕たちに語りかけているように感じる。

2. 人間を超えた存在に身を委ねる - ルイスカーン建築の本質

これまでいくつかルイスカーンの作品を見てきて、僕がカーン建築の本質だと感じている点について手短に話して、この記事を終わりにしたい。それは上でも話したような、人間を超えた事象や存在を含めた僕たちの身の回りの現実、人間からは到底理解しきることのできない世界を取り巻く普遍性みたいなものに、身を委ねていく建築の姿勢だ。

これを象徴するのが、カーン建築の「空」との関係性だ。カーンの建築はしばしば光の使い方を中心に語られることが多いが、その本質は実は光の源泉である「空」にあると思っている。その証拠に、キンベルもブリティッシュアートセンターもエクセター図書館も、建物の上から光が降り注ぐ空間がその建築の主役となっている。

ブリティッシュアートセンターの最上階。トップライトから入る柔らかな光が空間全体を満たす。空の些細な変化がギャラリー全体の印象を時事刻々と変えていく(筆者撮影)
フィリップスエクセターアカデミー図書館の中央吹き抜けを見上げる。クロスビームの上から入ってくる光が室内全体の表情を変えていく(筆者撮影)

そしてその光が時事刻々と変化し、建物内の空間の表情が変わっていくことを通して、僕たちは変化する「空」という対象を、まるで建築という顕微鏡を通して見るかのようにまざまざと体験するのだ。実際に一日の生活の中で空の事を何度も意識する人はほとんどいないだろう。僕も空を意識するのは朝起きて家を出る時と天気予報を確認する時、急に雨が降り出した時くらいだ。それが、カーンの建築の中にいると、些細な天気の変化がドラマティックに空間を変えるので、建物の中からは見えない空のことが気になって仕方がないのだ。空というのは私たちの世界を覆う最も普遍的な対象でありながら、その先の宇宙という未知なる世界への入り口でもある。普遍と未知の両義性を持った空。それはまさしく私たち人間を取り巻く極めて根源的で不可思議な現実そのものだと言えるだろう。

カーンの建築は「空」や「重力」のような恒久で普遍な現実に身を委ねながらそれらと共に表情を変えることで、逆にそのようなリアリティに対する私たちの知覚を増幅させる「器」としての原始性を持っているように感じる。そしてそのような強力な現実と対峙するには、同じくらいの強度を持った建築の理想像が必要なのだ。カーンの建築は、とことん突き詰められた建築の理想像と、それを凌駕する身の回りの現実との間のひっきりなしの葛藤、その弁証法によって成り立っている。

21世紀に入って四半世紀が経とうとしている今、世の中は地球温暖化や気候変動、人工知能といった現実の「わからなさ」に今まで以上に直面し、敏感になっている。そんな中、建築分野ではこの10年間、そのような「わからなさ」を建築の形態に落とし込んだり手法論へと展開させたりと、極めて対症療法的な言説やスタイルが流行してきたように感じる(例えばアメリカを中心としたOOO一派がこの良い例だろう。詳しくは僕のこの記事を参照されたい)。でも、この世の中の「わからないもの」をその一部として取り込んだり、「わからなさ」に創造の根拠を求めるのは、果たして建築にとって豊かな在り方なのだろうか。わからないものに直面した時、人はそれを取り込み、支配することで安堵を得ようとする。そうではなくて、それこそカーンが示すように、現実のわからなさはわからないまま良しとして、むしろそれらに身を委ねることで「わからなさ」への認識を高めつつ、現実を受け入れていくような在り方が、真に豊かでタイムレスな建築を生み出すのではないだろうか。カーンの建築は、その美しさや体験の豊かさ以上に、現代にも通用する重要なメッセージを持っているように感じるのだ。


[1] Louis I Kahn: Revised and Expanded Edition, Robert McCarter, Phaidon Press, March 2022

[2] ibid.

[Fig.1] https://archeyes.com/kimbell-art-museum-louis-kahn/

[Fig.3] https://archeyes.com/kimbell-art-museum-louis-kahn/

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