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【ロケット】4番目だが、こっからが正念場

 
 前回は日本の作った「カッパロケット」の打ち上げ成功と、新しい発射場・内之浦の確保について解説した。

今回はその続き。国内初の人工衛星を打ち上げと、到達高度10,000kmを超えた強力ロケット開発までの歴史について簡単に解説していく。

 カッパロケットが高度200kmに達したことで、日本のロケット開発はいよいよ人工衛星の打ち上げを目指したものになっていく。1960年時点で人工衛星を宇宙に投入している国は、アメリカ、ソ連、フランスの3カ国だったので、それに追いつく狙いがあった。

 糸川らが所属する東京大学の研究所は、高度1,000kmのロケットを目指す「ラムダ計画」をスタートさせ、重量30kmの衛星を打ち上げるための検討を提案する。そうして完成されたのが「ラムダロケット」だ。

 このロケットは1963年に高度1,000kmの到達に成功し、その後改良が加えられた「L-3H 2号機」では、倍の2,000kmへの到達に成功する。開発当初は高度20kmを超えることすらままならなかった頃と比べれば、たった数年で高度を1,0000kmも伸ばしてくるあたり、技術の進化を感じる。

 東京大学生産技術研究所の糸川を筆頭とした研究グループは、1964年4月に「東京大学宇宙航空研究所」を新たに発足させ、ロケット開発により集中するための環境も整えていった。

 人工衛星を打ち上げられるまでに何度も失敗したミューロケットだったが、1970年に入り、「L-4Sロケット5号機」という改良版がついに日本初の人工衛星「おおすみ」を楕円軌道に乗せることに成功。これで日本はアメリカ、ソ連、フランスに次ぐ第4の人工衛星打ち上げ国となった。

 さて、L-4Sでの人工衛星打ち上げに成功した糸川らは、次なる目標「高度10,000kmに達するロケットの開発」へと歩を進める。次に開発されたのは、ギリシャ語のMの名を冠した「ミューロケット」だ。

 高度10,000kmというと「ヴァン・アレン帯」というのが観測できる高度でもある。
ヴァン・アレン帯は陽子や電子からなる放射線帯のことで、地球の低軌道を超えた高度2,000km~20,000kmの付近に存在する。

地球を360°ドーナツ状に取り巻いており、宇宙船や人工衛星に放射線を浴びせることで宇宙飛行士の被爆や、太陽電池・集積回路などの電子部品に損傷を与えるおそれがあるエリアとして知られている。
この高度へロケットを到達できるようになると、宇宙開発はその範囲を広大にすることができるのだ。

 ミューロケットは、「M-4S」という4段式のロケットから「M-3C」という3段式のロケットへと改良していく。おさらいだが、この4段式、3段式と言っているのはロケットエンジンのことであり、エンジンを小型化して複数に分けて燃焼させることで段階的に宇宙空間へ飛ばすことを目的としている。
改良の結果、1974年には実験衛星の打ち上げに成功して、人工衛星を打ち上げる準備がようやく整い始める。

 L-4Sの頃は、ロケットは「自立誘導制御方式」、つまりロケット自身が軌道制御するような仕組みを取っていたが、通信技術が発達したことで、M-3Cをさらに進化させたM-3Sという新型では、全段で地上からの誘導制御が可能となり、軌道精度が格段に向上したという。
開発チームも規模は大きくなり、1981年には東京大学宇宙航空研究は「宇宙科学研究所」として改組され、5年後のハレー彗星の国際観測計画に参加することが決定する。

 このハレー彗星観測にあたっては、M-3Sでは必要とされる能力を満たされてなかったため、ミューロケットはさらに改良され、すべての段を固体燃料にしたM-3SⅡという名のロケットが新たに開発された。積載能力も3桁を超えるまでに大型化したことで、M-3S Ⅱは1985年、ハレー彗星探査機を目的軌道に投入することに成功する。

 全段固体燃料ロケットで惑星間軌道へ衛星を送ったことは他の国に例を見なかったのでM-3S Ⅱの存在は世界的にかなり珍しかったという。

以前の放送でも話したが、固体燃料ロケットは液体燃料と比べるとコストがかからない反面、一度燃焼させると最後まで燃え続けるため細かい調整ができないのが難点だ。それが理由でコストや保存が大変でも、燃焼後に調整ができる液体燃料を使う事がどの国も多かった。
にもかかわらず、全段を固体燃料にしながらも惑星間軌道へ衛星を送った日本のロケットは、客観的に燃料の扱いに非常に長けてるといえるだろう。

 こうしてラムダロケット、ミューロケットへとロケットを進化させていった日本は、独自の固体燃料ロケットを作る技術を携えて、その後開発される世界最大の固体燃料ロケット「M-V」の開発へと進んでいく。

 糸川らが当初設立した研究所も次第に規模が大きくなり、ロケットの性能も格段に上がるなど、宇宙開発を手掛ける国としての存在感を高めていたのがちょうどこの時期だ。
ロケットを開発する技術力が確かにあると自信を強めた日本は、その後のM-Vロケット以降の開発を通して「日本は宇宙開発で世界をリードできる」という確信を持ち、開発環境をより整えるため、ついに国単位でも動き始める。ちなみにJAXAが発足するのももうすぐだ。

 「日本が宇宙開発も盛んだ」というイメージが定着し始めたのもこのあたりなので、ミューロケットの開発以降、日本がロケットをどう改良していったのか、その歴史もいずれ解説するのでお楽しみにしていてほしい。

日本のロケット開発はこのあともっと面白くなるぞ。

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