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背中についてたレッテルを剥がしてみる(ラベリング理論)

※この記事は2022年1月23日にstand.fmて放送した内容を文字に起こしたものだ。


突然だが、「あなたは偏見を持っていますか?」と聞かれた時、皆さんならどう答えるだろうか?

きっと皆さんは答えるだろう。「僕に(私に)偏見なんてない。どんなことも平等に見ている」と。

「偏見」という言葉は非常にネガティブな言葉であるから、偏見があることを肯定したら自分が悪い人間のように思えてしまうし、実際に偏見は持っていないと信じているから、きっと否定する人が多いとはずだ。

「偏見は持たない」という心掛け自体は素晴らしい。ところが、「本当に僕たちは、どんなことに対しても何一つ偏見など持ってないんだろうか?」というのが今回扱いたいトピックだ。

例えば、虫を食べている人を見てどう思うだろうか?
世の中には、食用として食べられる虫が数多く存在する。コオロギやゴキブリ、蜘蛛など、見た目は最悪でも、その虫の種や衛生面に配慮されていれば食用として十分食べられる虫はかなり多く存在する。
ところが、食べられるものだと分かっていても、実際には口になんてできないと考える方がほとんどではないだろうか?
これは僕でもそうだ。害はないと分かっていても、食べるのを自然にためらってしまう。義務教育の過程で、大人から「虫は汚くて気持ち悪いものだ」という考えを教え込まれたことで、虫に対して偏見を持ってしまっているからだ。

教室の中に虫が入ってきた時に、先生や周りの友達が気持ち悪がって逃げたり、退治しようとしている様を皆さんは何度も見てきたと思う。全ての虫がそうだとは言わないが、すくなくともコオロギやゴキブリなどを好き好んで食べようとは思わない。それはきっと、コオロギやゴキブリに対して「汚くて気持ち悪い」という偏見を持っているからだ。実際にはそういう種類ばかりではないのにも関わらず。
虫を食べる、特にコオロギやゴキブリを食べるとなった瞬間に、それらの虫に対する偏見が働いて、僕たちは食品として意識できなくなるわけだ。

このように、与えられた名称によって判断や行動が影響されてしまうことを、「ラベリング理論」という。僕たち人間は、名称から憶測を立てることによって無意識のうちに差別や偏見を頭の中で作り出してしまう生き物なのだ。

先程は「虫を食べる」なんていう例だったが、日常でもラベリング理論の影響はたくさんある。
例えば、「学校の宿題を忘れるような奴は不真面目だ」とかも、先生や親から教え込まれて無意識のうちについてしまった偏見だ。漢字の書き取りを何百回もさせるような宿題を、果たして真面目にやるべきかどうかは疑問だろう。

他にも「メイド喫茶に行くような奴はロリコンだ」とかもその類ではないだろうか?
詳しくない人からすれば、わざわざ時間とお金をかけてメイドさんにもてなされたいと思う人の感覚は理解しずらいだろうが、実際に通っている人達としては、メイド服に身を包んだ綺麗な女性から温かくもてなされることに喜びと価値を感じている。それはきっと、アイドル好きの人やアニメ好きと人たちとなんら変わりないはずだ。
それでも偏見が生まれるのは、「メイド喫茶」というものに対する世間的なラベル付が大きく影響しているのだと思う。

このように考えると、僕たちは口では偏見を持っていないと言いながら、自分では気づいていない、もしくは気づかないふりをしている偏見や差別がたくさんある。だとしたらまずしなければならないのは、自分では気づいていない偏見がたくさんあることを自覚した上で、実際に経験してみるというのが重要だと僕は思っている。

例えば、虫を食べるのが難しいというのなら、まずはエスカルゴのような広く知られた料理から食べてみて、食品に対する偏見を少しずつ慣らしてみるとか。メイド喫茶だったら、とりあえず詳しそうな知り合いを連れて一度試しに行ってみるとか。
「百聞は一見に如かず」なので、まずは経験してみて、その魅力はどこにあるのかを探ってみるという姿勢が大事だと僕は思う。

人が物事に対して偏見を持つのは、人類が生存戦略のために進化してきた名残なので、完全に無くすことはできない。なのでせめて、「偏見がある」という自覚と、それを少しでも減らすためにさまざまなことに興味関心を持って、一度経験してみるというのが大切なのではないかという話だ。

参考文献:自分では気づかない、ココロの盲点 完全版 本当の自分を知る練習問題80 (ブルーバックス)

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