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デンマークにおける学びの素描④(No.7)ー私立小中学校(Lille skole)訪問



先日、留学生の仲間2人と共に、小中学校を訪問させていただくことが叶いました。
首都コペンハーゲンにある小中学校です。
私立の小学校なのですが、「リルスコーレ」という校種に属します。
(このリルスコーレという学校種の成り立ちについては、またどこかで述べられれば、と思います。)

ちなみに、デンマークは、小中学校が一貫となっています。
なので、1年生から9年生まで、という数え方をします。
また、幼児教育と小学校を繋ぐ学年として、0年生も存在します。

今回視察をさせていただいたのは、1年生です。
また、題材が「俳句(Haiku)」であったため、一部授業をさせていただくこともできました。そのことで、より、訪問した学校の学びで大切にしていることを体感することもできたと感じます。

最後に、担任の先生に1時間程インタビューすることもできました。

以下、授業のパートとインタビューのパートに分けて、印象的であった部分を記したいと思います。


1.授業見学と教える体験
 1)授業開始まで
 2)授業開始(国語「haiku」)


1.授業見学と教える体験

1)授業開始まで

私達が訪れたのは8時半。お見送りのパパママの姿が結構見られた。
お見送りのパパが子どもをがっちり抱きしめているところが印象的。
(親子で愛の形をストレートに表わしている場面を見るのは、良いものですね。)

首都とだけあってか、比較的小さな校舎だった。

1年生の学級は2階であった。
扉を開けると、その階の全学年が使用するフリースペースがあり、そこから、各学年の教室へすぐ通じていた。

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単級の学校であるため、1年生のすぐ隣に他学年の学級が接している形だ。

1年生の学級の部屋に入る。
まず、印象的に思ったことが、机椅子の配置である。
子ども同士が顔を向かい合わせられる工夫が施してある。

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また、スペースのゆとりである。
教室は日本の教室より狭いくらいにも思えたのだが、一学級の人数が少ないために、一定の余裕があった。机の形や配置の仕方もそれに関係しているだろう。

さて。日本の小学校では、朝は相当忙しい。
デンマークの(訪れた)小中学校でも、朝方の忙しさは感じられた。
ただし、「忙しさ」の体感のされ方や度合いが全く違う。子どもの空気感や、教師の振る舞いを見ても、学校内に流れている時間の感覚からして何かが違う。
私にとっては、実はこれが、今回の訪問の一番の衝撃でもあった。

この時間感覚の差異における衝撃の根っこには、様々な要素が絡まっているだろう。
書きながら、そのヒントが少しだけ分かってくるだろうか。


2)授業開始(国語「Haiku」)

今回、担当をしてくれたのがAnja先生。当学校で勤め始めて15年間程経つということであった。

子どもたちに、僕ら3人を紹介してくれた。
一人ずつ自己紹介をしたのち、子どもたちも一人ずつ名前を教えてくれた。

そのまますぐに、授業が始まった。
以下、番号を振って、授業の流れを分かりやすくしてみたい。また、日本の授業との違いについての所感も、同時に記述をしていく。

ちなみに、5年程前に、デンマークでは大きな教育改革を行った。
その影響で、1コマの授業時間がそれまでの45分から90分となった。
果たして、90分もの長い時間を、どう子どもたちと先生は力を合わせて実りのある授業を作っていくのか。そのヒントも知れたように思う。



①これまでの授業内容の振り返りである。

「Haiku(俳句)」とはどういったものかについて、先生が投げかけ、子どもたちから意見を待った。
季節にまつわるものであること、使う季語について、5−7−5のリズムがあることなど、日本で子どもたちが習うくらいに具体的な内容に踏み込んでいた。

上の写真は発言のために挙手をしている様子である。
指を立てているのは、自分を何番目に当ててほしいか、という意味合いがあるようだ。(大抵、ひとさし指を伸ばし「1番」を示している。)
発言のためのルールを整備し、発言者に注意を注ぐための環境づくりをしているように感じられた。実際に、子どもたちは「よく聴いている」印象を受けた。


②日本の俳句を、ゲストティーチャーとして、私が紹介する。

ここで、担任の先生からゲストティーチャーとしてバトンを受け取った。
(実は、そこまで本格的に教えることを想定していなかったため戸惑ったのだが、準備不足がかえって奏功した。)

まずは、「日本」について、子どもたちの興味を惹きたかったので、日本の文化についてキーワードを出して、聞いてみた。
「ポケモン」の話が1番よく盛り上がった。どうやら、学校内で、ポケモンDayというイベントがあるようだ。
担任の先生の力を借りながら、一人ずつ好きなポケモンのキャラクターを聞いた。

ちょっと子どもたちの気持ちが上向きになったように感じたところで、日本の俳句を一句日本語でボードに書いた。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」の句を書いたが、偶然にも、前の授業で子どもたちはこの句を習っていた。
5ー7−5がどう区切られているのかを聞いたところ、子どもたちは積極的に挙手をしていた。(下の写真がその様子。)

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③身体を使って、表現する。

ここで、1年生の子どもたちに、俳句をそれ以上「言葉」で教えても伝わらないと感じ、また、子どもたちも椅子に座り続けて飽きてきたように思えた。

ふと、デンマークの教育について持っていた知識、「身体を使う」ということが頭に浮かんだ。
全員に椅子から立ってもらい、「古池や」の句全体を、身体で表現してもらった。

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実は、この時、かなりはらはらしていた。
というのも、日本の教室で同じことをした場合に、子どもたちの集中が一気に切れてしまう、といったことが起こり得たからだ。

だが、意外なことが起こった。ここから担任の先生がリードをしてくれて、子どもたちも慣れた様子で「身体で」表現を始めたのだ。
後から聞いたのだが、以前の授業でも俳句を身体で表現することは、行っていたということなのだった。

④グループで、「古池や」の俳句を劇にする。

ここで、担任の先生がグループに分かれて劇をつくるように場を設定した。
子どもたちは、慣れた様子で動き、あるグループは廊下へと移動した。それぞれ動きやすいスペースを確保していた。

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その間、先生は、動き回り、アドバイス役に徹していた。
どうしたら、その俳句に対して想像力をいっぱいに働かせられるかアドバイスをしていた。

また、子どもたち同士が「一緒に劇を作ること」を通して、コミュニケーションを後押ししているように感じた。

ちなみに、日本の教育環境では、「学習=座ること」がイメージとして繋がることが多い(と私は感じている)。そして、そのことが「学びの幅」を狭めているように感じていた。
一方で、デンマークの教育環境においては、学習はもっと「身体感覚」に結びついているのかもしれない。
まずは身体感覚を十分に使ってこそ、子どもたちの想像力とイメージは初めてよく働く、ということだろうか。


⑤作った劇を、みんなの前で発表する。

劇を作り始めて10分ほど経ったところで、先生が大きな手拍子を何度か打った。

私が始めに感じていた「子どもたちの集中が切れてしまうのでは」という不安はどこ吹く風で、
むしろ、一度身体を動かし想像力を使った子どもたちは、リフレッシュした様子で意気揚々と教室に戻ってきて、席に着いた。

そして、最後に、作った劇を教室の真ん中(机椅子を端に寄せて)で発表し合った。

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ここまででおおよそ70分ほどだろうか。


⑥軽食を食べながら、読み聞かせを聞く。

ここで、「軽食」の時間となった。小休止、といったところだろうか。

子どもたちは、各々果物などが入った容器を取りに行った。
リラックスをして食べている子どもたちの前で、先生も同様にリラックスをした様子で、本の読み聞かせを始めた。
笑い所があり、随所で子どもたちの笑い声が起きた。
子どもたちのよく聞いている様子からしても、子どもたちと先生の間の、非常に慣れた掛け合いに思えた。

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授業の途中で軽食をとる、ということ。「空腹感」という子どもたちの身体感覚への配慮だろうか。

この環境は、日本の教育環境の中では、味わったことがないものだった。

日本の学校では、いつの間にか「掟化」してしまっているものが、多いように感じる。

例えば「きまりや環境」の中でも、何が必要で、何が必要でないのか、いつでも話し合いをして変化させていく柔軟さと、各々の自由な発言権と裁量の確保が必要に思う。
デンマークの教育環境においては、その点で、教師や各学校毎の裁量権の幅が広く、また、教員間、教員と保護者間でもいつでもオープンに話し合いをして、必要に応じてきまりや環境を変化させていく柔軟さを感じる。
こうした点で、デンマークの教育から学べることは沢山ありそうだ、と感じた。
(この点は、この後のインタビューを通じてより強く感じた。後述したい。)

(後編へ続く。)

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