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ホーミー条例

ホーミー条例が施行されることになった。
もう10日後に迫っている。
村長がモンゴル好きなことは知っていたが、こんな暴挙愚挙に出るとは、夢にも思わなかった。
村議会は村長の言いなりだから、まあ、仕方がないけれども。
つい最近、役場庁舎をゲル(パオ)に移設したばかりだった。
嬉しすぎて、幸せすぎて、調子に乗っているのだろう。

条例が施行されたら、村民はホーミーで話さなければならなくなる。
違反者に対して罰則を設けるかどうかは、まだ検討中らしい。

僕は村内のアイベックスマンションに住んでいる。
賃貸なので、引っ越し先さえ見つかれば、出ていくのは簡単だ。
10日でホーミーをマスターする自信はないから、村脱出も考えた。

けれども、僕はこの村が嫌いではない。
いやいや、素直に本音を言うと、出ていきたくはないのだ。
もう90近いのに元気いっぱいで、バカばかりやっている村長も、実は大好きなのだ。
村民はみんな生き物が好きで、野良猫にも寛大だから、周りの市町村からどんどん猫が集まってくる。
僕みたいな猫好きにはたまらない猫の楽園でもあるし…。
村長が突拍子もない人だから、それを許して住み続けている住民たちは、みんな大らかでいい人ばかりだ。
こんなに住みやすい村はない。

そこで、村在住のミュージシャン巻髪光二さんにお世話になることにした。
ロックバンド、ハラショーのリーダーだが、ホーミーの第一人者でもある。
自宅でささやかなホーミー教室もやっているので、そこに通うことにしたのだ。

4日間通った。
個人レッスンだ。
一日当たり1~3時間練習に励み、自宅でも独りで練習した。
けれども全く上達しない。
というより、できないのだ。

「僕ってよほど、才能が無いんでしょうか…」

「要領がつかめてないだけですよ。
何かの拍子に、ぱっとできるようになりますって。
心配しないで、もう少し続けてけてみましょうよ」

巻髪先生は、優しく励ましてくれるのだが、僕はすっかり自信を失いかけていた。

「きっと才能が無いんだと思います。
学生時代にも、こんなことがありました。
虚無僧に憧れて、大学の尺八部に入ったんですよ。
優しくて親切な先輩ばかりだったんですけど、いくらやっても音さえ出ませんでした。
首振り三年とか言って、それなりに様になるには早くても3年はかかるって言いますけど、音を出すくらいならばすぐにできるという話だったんですけど…。
ある先輩が、僕の口をまじまじと見て言いました。
『きみ、かわいい唇をしてるね。
おちょぼ口で、上唇がちょっとまくれてたりして。
でもね、尺八には向いてないよ』
その先輩の唇は薄くて長くて、いかにも『酷薄な唇』という感じでした。
でも、そういうのこそ尺八には最適なんですね。
僕は尺八ばかりではなく、ホーミーにも向いてないじゃないかと…」

巻髪先生は、さらに熱心に慰めの言葉を重ねてくれた上に、練習の様々なバリエーションを試みてくれた。
けれどもやっぱり駄目だった。
さすがの先生も、頭を抱えてしまったが、しばらくして、ぱっと明るい顔になって言った。

「おならはどうでしょう?
おならパフォーマンスも、わたしのレパートリーなんですよ。
これならば、唇の形も口の構造も問題ありません。
高音部をおならでやるわけです」

巻髪先生の懇切丁寧な指導を受けて、まずおならを自由に出し、意のままにコントロールする訓練をした。
これは比較的短時間で、できるようになった。
自由自在とはいかなかったが、一日でほぼ、出したいときに出したい音を出せるようになったのだ。
おならパフォーマンスは僕に向いているらしい。
さらに二日ほどみっちり練習を積むと、口の低音とおならの高音のホーミーもどきが、人に披露できる程度に上達した。

「うん、いいいい。
りっぱなもんです。
これだったら、ホーミーと言っても、十分通用するくらいですよ。
ただ、問題は、村長さんが認めてくれるかですね」

そうだった。
事実を明かして披露するにせよ、秘密にして披露するにせよ、村長が認めてくれないことにはなんにもならない。

ところが万事、杞憂だった。
ホーミーにも精通している村長のことだから、インチキなんか通用しないだろうと、最初から種を明かすことにした。
役場庁舎のゲルに足を運んで、事の次第を説明した上、ホーミーもどきを披露して、村長の見解を仰ぐ。 
村長は手を叩いて大喜び。
声とおならのホーミーもどきをその場で特例として認可してくれたのだった。

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