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変わる断捨離、モノとの付き合い方

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僕はとても気が散りやすい性格というか、一度気になり始めたらずっとそれにとらわれてしまうタイプの人間だ。
引っ越しをして、そういうストレスが顕著に現れてきてしまった。

髪の毛や埃が落ちている、食べカスが机に残っている、ガラスが汚れているとかそんなことで発狂しそうになったりする。
毎日毎日掃除をしても、人間が生きていればもれなく汚れてしまうのがさらに辛い。
生きるということは汚すことなんだろう。

ストレスがさらに限界に達すると、モノをどんどん捨て始める。
片付け以前の問題で、「そもそもこのストレスはものがなければ起き得なかったはずだ」と思う。
気になる箇所のモノを改めて見つめて、これは本当に必要か?またいつでも買えるものか?とか心の中でいろいろと吟味して、問題なければ即ゴミ箱へ。値段とかは全く関係ない。自分にとって必要がなかったら、それは0円どころか持っているだけで損だと思う。

ただ、今回のコロナ騒ぎで、こういうやり方も少し見直す必要があるかなと思うようになった。

この生活を続けると、家のものは減り続け、最低限のものだけになる。
発想としては、近所のコンビニやドラッグストアや大手家具店みたいなものも自分の倉庫と考えて、都度お金を渡してモノを引き取りに行くような感じだ。
そうすると、ストックを持つとか、「いつか使うかも?」と言ってモノを確保しておくという価値観から脱することになる。

しかし、やっぱり誰かに何かを任せるということは、100%を自分でコントロールできなくなるということでもある。トイレットペーパーがなくなって、マスクがなくなって、小麦粉がなくなっても、それはリスクを承知で外部に保管を委託しているわけだから「あきらめる」ということになってしまう。

実際にそこまでこまったわけじゃないんだけど、買い占められるモノたちの映像をテレビやネットで見るたびに、リスクを再認識させられる。
モノが多いと苦しくなる僕と、ある程度はモノを持たないと生活が突然機能しなくなるリスクがあるという現実に挟まれている。

モノとの付き合い方を考える時期に来ているのかもしれない。
断捨離、なんてのがはやってからもう5年以上は経つだろうか。
基本的な思想は、自分にフィットしていると思うけど、時代が変われば内容も変化しないといけないのかもしれない。

雑多にならないよう、気が散らないよう、ストレスにならないような、そして生活を続けられるようにリスクを減らした新しい断捨離が求められるのかもしれない。

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