みんな矛盾を抱えて生きている

もうすぐ26歳になる。この年齢まで生きると、周りの友人や知り合いが結婚したという情報をちらほら耳にすることが多くなる。
中学・高校時代の見知った顔が、自分の全く知らない相手と幸せそうな結婚報告をアップロードしているのをみると、なんとも不思議な感覚に襲われる。
時間の進みは思ったよりも早いみたいだ。

近しい友人が結婚すると、いろいろと結婚生活の情報も知ることができる。最近僕が思うのは「結婚や恋愛ってなんて個人的な営みなんだ」ということだ。
「結婚」「交際関係」という結果だけ見ると同じなんだけれど、その内実は本当に様々だ。そもそも、個人間、それも関わる人数は最低数の「2人」で営まれている関係だ。基本的に人数が少なければ少ないほど、関係を継続するのに必要なメンバーの合意を得るコストが下がる。

例えば企業活動なら、関わる人数が多くなればなるほど意思決定にはコストが多くかかる。トップダウンになりがちなのは、ある程度の規模を超えると、意思決定のコストが集団の運営に必要なコスト(時間や労力)を上回ってしまうから、強引に決めざるを得ないということだ。
民主主義の多数決も、全員を合意に導くことができないという前提に立っているからこそだとおもう。

話を結婚に戻すと、合意へのコストが最低の状態が「2人」という構成だ。この状態だと、2人が納得さえすれば、論理的に破綻していたり、矛盾を持った状態、つまり客観的や一般論的におかしなことがあったとしても、成り立ちやすくなる。
というより「客観的」とか「一般的」というものを当てはめること自体が間違っているんだと思う。
2人の間で起こっていることは、合意に基づいた「正義」であるし、それを一般とか社会とかそういう線を引きなおして判断することは無理な話なんだと思う。

こういう、どこまで行っても徹底的に個人的な問題は、外に出さない方がいいと思う。
それか、誤解なく詳細に説明することができて、且、理解(受け入れ)されるようなコミュニティに限って露出するのがいいと思う。

正解なんてどこにもないし、それぞれがそれぞれのやり方で答えを出し続けるしかない。
とくに、結婚とかしていない自分は、そう感じるのかもしれない。
こういう課題に対してより良い選択をするために、学びが必要だろう。何学が役に立つかは分からないけれど、「別の選択」を思いつくかどうかがすごく大事になってくる。


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