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水っぽくてうすい、最高のコーヒーの話

僕は、自宅でじっとしていられない性格だ。
何か集中したいときは必ず喫茶店に行く。
今日もこの文章を、家の近くのドトールで書いている。

家でじっとしていられないのはいつからだろうか。大学受験のために予備校に通っていたくらいのとき、すでに自宅で勉強はしていなかったと思う。自分の部屋は気が散って仕方がない。
外に出てしまえば、やれることは限られる。せいぜい、スマホを見る誘惑くらいだろう。
スマホと1対1の勝負だったら、そこそこの勝率がある。もともと、そんなに依存していないのが幸いだ。

大学生の後半くらいから、日記を書くようになった。
タイミングはバラバラだけど、やはり朝に書くのがスッキリして気持ちが良い。
また、僕は夜は疲れてすぐ寝たくなってしまうタイプなので、夜に何かを集中するということは難しい。
朝はだいたい、喫茶店にいる。

僕はコーヒーが大好きだ。
味にうるさいかというとそんなことはなくて、缶コーヒーでも、今飲んでいる200円くらいのアイスコーヒーも、ハンドドリップでも、なんでも美味しく飲める。
この前、1杯1400円のコーヒーを飲んでみたけど、面白さとか嗜好性の違いを除いた幸福度的にはドトールと変わらなかった。
僕の中のコーヒーに対する満足度は、いつでも満点なのかもしれない。

大体いつも頼むのはアイスコーヒーで、ホットが飲みたいときは、アメリカンコーヒーを頼む。
僕はアメリカンコーヒーが大好きだ。
ブレンドコーヒーと比べて、大体どこの店もワンサイズ大きいカップで提供される。ちょっとお得な気がする。

アメリカンコーヒーをざっくり説明すると、浅煎り豆を多めのお湯で淹れる、ってことらしいけど、日本では「薄いコーヒー」くらいの意味で浸透してしまっている。和製英語みたいなものだ。

チェーンの喫茶店とかだと、ほとんどブレンドコーヒーのお湯割りみたいに作っている。
コーヒー愛好家からみたら発狂するような行為なのではないだろうか?詳しいことはわからないけど、効率化・合理化を突き詰めた、コーヒーへの冒涜みたいに思える。
チェーン店では、それを隠すこともなく堂々とやる。ブレンドコーヒーのボタンを押して、その後堂々とお湯を足す。それを満面の笑顔でソーサーの上に載せる。そういうのがまた、風流だなと思う。現実社会とはアメリカンコーヒーのようなものだ。

このコーヒーがとてつもなく美味しい。
水っぽくてうすい、このアメリカンコーヒーが最高に美味しく感じられる。

コーヒーは、小学生くらいの時から飲み続けている。
だからこれからの人生も、コーヒーと一緒にあるだろう。
水っぽくてうすい、アメリカンコーヒーのある人生は、最高だ。


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