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【サピエンス全史 (第4部 科学革命】人類は何を望みどこへ向かうのか?

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆☆

さて、壮大なサピエンス全史をやっと読み終えた。

人類、すなわちサピエンスが地上を支配していく過程から未来に向けてまでの壮大な物語。

この本ではサピエンスの歴史の中で様々な謎を投げかけられてきた。当然の事のように思っていた歴史についても、人類の進んだ道が正しいのか?と、疑問を持つことも出来た。

今後サピエンスはどのように進んでいくのか?

ビジネス書の枠に収まらない、全サピエンス必読の1冊だ。


〜科学の始まりは無知の知〜

この本の1番の醍醐味は、サピエンスの歴史を語っていく中で、著者の斜めから切り込む観点とキレのある言葉に、ハッとさせられ、新たな視野を広げられる快感だ。

例えば、第一部でいまだに僕が刺激的な言葉だったのが、
「サピエンスが小麦を育てたのではなく、小麦がサピエンスを家畜化した」
という表現である。まさか、ただの植物に人類が操作されていたなんて、考えもしなかった考え方である。

そして、この科学革命の章においても、読んだ人なら誰でも衝撃を受けた一節がある。

「サピエンスが科学という力を獲得し始めるきっかけが、自らの無知を認める事だった」

すなわち、無知である事を理解する事が科学の発展に寄与したのだ。
そして、いち早くこの人類の無知に気づき、未知への探求・冒険に繰り出したのがヨーロッパ人なのである。
宗教的な思想で生きていた他の大陸の住人を支配し、その大陸に残された遺跡に注目し現地の住人よりもその大陸を知る事で、更に支配を強くする。
ヨーロッパ人は知らない事を知る事で、無知に気づいていない人々を次々に支配していき、今日語られる帝国の礎を築いたのだ。


〜幸福を科学的に見る〜

さて、無知をきっかけに科学が発展していき、地理学、経済学、物理学、さまざまな科学により人類の産業が発展し、戦争を繰り返し、今日ではグローバルな世界が実現され、世界中が全ての人類が幸福となる世界を望んでいる(この流れも丸々三章ほどで語られているのだが、この記事では割愛する笑)。

ヒト、モノ、カネが溢れて、500年前と比べて物質的にはかなり恵まれた世界となっている。

しかし、これだけ全てが発展して本当に人々は幸福になったのだろうか?
と、著者は疑問を投げかける。

人はどういう時に幸福を感じるのか?という疑問は未だに数々の学者が大きな問題として、検討がされている。
金持ちになれば幸せなのか?生涯を共にできるパートナーを見つければ幸せなのか?そもそも、幸福に外的要因はどれほど影響を与えるのか?
生化学の分野では、幸福について非常にドライな結論を出している。テストステロンやドーパミンなど、体内の分泌物が脳に電気信号を与えて幸福感を得ることができる、というのだ。
そうなれば、どれだけモノやヒトに恵まれていようが、そう言った分泌物を大量に生み出すことのできる薬でも開発すれば人類は全て幸福になるのか?

歴史を遡っても、人々は幸福だったのか?という事については多くは考えられていない。
戦争を繰り返し、他者を支配すれば物質的に恵まれて幸福になれると信じていたかもしれない。今日では土地ではなく真の価値は人々の頭の中にある。今日戦争を否定する世界は、幸福のためには土地やモノを奪うのでは割に合わない、と考えているだけなのではないだろうか?とも考える事だって出来るのだ。  


〜サピエンスはどこへ向かう?〜

著者は最後にこう締めくくる。

「私たちが直面している真の疑問は『私たちは何になりたいのか?』ではなく、『私たちは何を望みたいのか?』かもしれない」

人々が結束して、村や町を作り、農耕を発展させ、人類は統一され、科学が発展し、資本も産業も栄えた。
科学はさらに人類を前に進めるだろう。遺伝子を操作して新たな生物を作り出すこともできるかもしれないし、脳をコンピュータに繋いでブレインネットワークを構築することも出来るかもしれないし、サピエンスよりも優れたヒトを作り出すこともできるかもしれない。

しかし、その先に何があるのだろうか?
人類はどこに向かっているのだろうか?

サピエンスの歴史は全てにおいて、"進化"と表現してしまっていいのだろうか?
人類は7万年の間に幸福になり続けているのだろうか?

"神"という人間が生み出した虚構の存在になるためなのか?

歴史を遡ってもその答えはわからない。さまざまな可能性に枝分かれした中でたまたま進んできた道を歩んでいるに過ぎない。
科学の発展した未来を空想しても、その延長に真っ直ぐ向かうとは限らないし、現状思いもしなかった方向に未来が進む事だってある。

人類は何を望むのか。答えのわからないまま科学を発展させ、経済を発展させ、人類の立場は良くはなっているが、他の生物の幸福を考えた時、あまりにも無責任だ。

科学的にドライな観点で言えば、人生に意味などない。
しかし、人類はがむしゃらに発展する事ばかりではなく、一度立ち止まり「何を望むのか」という疑問について考える事が必要なのかもしれない。


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