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高校卒業程度認定試験の戦前史

昨日のつぶやきに関連します。


高校卒業程度認定試験とは

 高校卒業程度認定試験と言っても、ある年齢以上の人にはピンとこないかもしれませんが、平成16年まで大学入学資格検定(大検)と呼ばれていた試験です。
 主に高校中退や中学卒の人が受験して、合格する事で高校卒業者と同等である事が認定されます。今の制度になってから、満16歳以上になる者で大学入学資格を持たない者に対象が広がり、高校在学生でも受験できます。
 この試験に合格すると、大学などの受験が可能になるだけではなく、高校卒業を要件とする資格試験の受験資格が得られるなど、様々な便益が得られる様になっています。但し、満18歳以上でなければ、飛び級を認めていない大多数の大学等の受験は出来ません。このあたりが日本の教育の硬直性の弊害の一つでしょう。折角受験できる資格があるなら、受験させてもよさそうに思います。

明治から続く中等教育卒業程度の認定試験

 前身の大検は昭和26年に始まりましたが、それ以前には、(旧制)専門学校入学者検定試験(以下専検とします)が明治36年の専門学校令の公布に合わせて始まっています。
 この専検は、実質として旧制中学校卒業を認定するもので、試験の名前は専門学校となっていますが、実際には旧制高等学校への進学も可能となっていました。それだけではなく、当時旧制中学校卒業を受験資格とする官吏(公務員)試験の受験資格や、当時の教員資格の認定試験(この件はまた別に記事にします)の受験資格などが付与されるなど、様々な資格が付与されました。
 当時は中等教育への就学率も低く、上級学校に行く為に、この専検を望みに、仕事をしながら勉学に励む青年達が多くいたので、東京は当然ですが、地方にも受験の夜間学校があったそうです。
 当時は数ある難関試験の最初の関門とされ、明治・大正時代は合格率は数パーセントに限られ、合格者が新聞の記事になる程でした。
 昭和に入って、中等教育への進学率も上がって来ると、試験のハードルも徐々に下がって来た様ですが、それでも、今の試験と比べると、かなり難関な試験のままで戦後の廃止まで続きます。
 当時はその後の立身出世のカギとなる、重要な試験であり、現在の高校全入時代のセーフティーネット的な試験とは、若干意味合いが違っていた様です。
 実際、この専検を経由して上級学校に入って、その後実業人や教育者、官吏などの職業で名を成した人は数多くいた様です。例えば、近畿大学の創設者である世耕弘一氏などが有名です。

 今の試験に至るまでには、長い歴史があったのです。傍系の就学ルートという点では、今も昔も変わりませんが、戦前の受験者の意気込みには、圧倒されるものがあります。

戦前から戦後の社会を支えた貴重な人材

 今の試験でも、その後大学等に進学して活躍する人は多いと思いますが、戦前から戦後にかけては、スケールが大きい人物が多かった様な気がします。やはり、全てに飢えた時代だったので、その熱量が今とは比べらられないものがあったのでしょう。単なる学歴エリートではない人々が動かしていた戦前から戦後に渡る社会のダイナミズムに、私たちは学ぶことが多いと思います。





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