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研究と生活の折り合い

 かなり前の話になりますが、オーバードクターの不幸な死の事件がありました。その関連記事でのリンク先にあった、以下の論評を先日初めて読みました。


 研究者としては三流だった私にとって、三流だった故に早くに諦めが付きましたが、優秀な大学院生は優秀な能力に絡められて、研究活動から離れがたくなってしまうのでしょう。

 確かに文系大学院生で教授まで行き着くのは、私の時代でも研究室の同期で1人しかいませんので、大学院生が急拡大する大学院ビッグバンの時代である平成中期以降では、絶望的な水準になっているかと思われます。

 理系大学院生が、民間でも研究が継続できる環境が少なからず存在するのに対して、文系大学院生は、民間のシンクタンク以外には研究が継続出来る環境がいまだ整備されておらず、その経験を直接生かせるのも教育機関か医療や公務等の専門職にほぼ限られます。

 筆者の唱える「夢のソフトランディング」は文系大学院生にとって、特に必要な視点でしょう。

 例えば、大学職員も私の就職した頃は単なる事務屋の扱いでしたが、近年は研究支援の側面が強くなっているので、高等教育の研究者がその経験を生かして働くには、適した職場かもしれません。実際、私が辞める前に、在職で高等教育研究の大学院に派遣される制度が立ち上がっていて、募集の通知を読んだのを憶えていますので、そういう人材を求める環境に徐々に変わって来ていたのでしょう。

 また、今の私の様に、在野でも研究しようと思えば、不自由はありますが出来ない訳ではないので、特に博士号まで持っていても、そこに拘らずにもっと広範囲にアンテナを広げれば、別の道が開ける可能性もあると思います。

 研究と生活の折り合いを付ける事は、難しい問題ではありますが、悲惨な事件を二度と繰り返さない為にも、ソフトランディングへの道標を示して行く事が今後の課題になるでしょう。




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